それ、はゆっくりと眼を開いた。
 重い堅牢な扉をこじ開けるように、鈍い動作で、闇の中から這い出るように。
 やがて双眸が完全に開く。
 続いて、額の第三の眼が目蓋を持ち上げた。
 広大な空間に禍々しい空気が満ちる。じわじわと、隅から隅まで、そしてやがて空間に収まりきれずに飽和状態になる。
 それ、は巨大な神殿の奥に鎮座している。
 地下空洞を掘り抜き、意匠にて飾り、魔術的な配置によって崩落を防ぎ、それ、へと続くように篝火が焚かれている神殿の奥の玉座に。
 それ、は頬杖を突いていた腕を解き、頭を持ち上げ口を開いた。
 「夢を見ていた」
 それ、の前には三体の大きな怪物がかしずいていた。その内の一体がそれ、の言葉に応える。
 「如何な夢を見られたので」
 暗緑色の肌に、醜く潰れながらも竜を想わせる形相。ローブを羽織い、それ、には及ばないまでも強大な魔力を放つ怪物、バラモスブロス。
 それ、はバラモスブロスを一瞥もせず視線は宙に留めたままで言葉を返した。
 「我が滅ぼされる夢を見た」
 「・・・!?」
 バラモスブロスだけではない、他の二体までもが驚愕の反応を示した。
 「ぞ・・・レは・・・・・・サイざギの・・・ワるいゴ・・・・・・グぶブ」
 腐蝕した身体を震わせて笑いをこらえている骨格が所々剥き出しの怪物、かつて地上の世界を我が物としていた魔王バラモスの成れの果て、バラモスゾンビ。
 「光の血筋よ、今はもう薄れし記憶の彼方にある、楽園の」
 バラモスゾンビの言葉を意にも介せず、それ、の虚ろな瞳は先ほど見ていた夢を思い出す。
 「一人と、もう一人と居た。来る時は違えて、最初の一人は貴公が焼き払う」
 それ、は瞳だけを動かして、五つ首の巨竜キングヒドラを見遣る。
 「某が?」
 当たり前の事だと云わんばかりにキングヒドラは息を荒げる。それをバラモスゾンビが忌々しそうに睨みつける。
 「だが、もう一人、それと三人加えたあやつらに、そなた等は滅ぼされた」
 「そして王までもが」
 キングヒドラが苦笑した。有り得ない筈の事をそれ、が口にすることがない事に、少なからず畏怖を覚えた。バラモスゾンビも例外ではなく、下卑た笑いを止めた。
 「それは本当に夢なので御座いますか」
 バラモスブロスが訊ねると、それ、は「さぁ」と、分からないと答える。
 「夢など、生れ落ちて幾星霜、一度も見たことがなく」
 それ、は思わず失笑する。三体の怪物は押し黙ったまま次の言葉を待つ。
 「これは何だ、天啓とでも言うのか、王たる我が」
 「さすれば急ぎにて城内の守りを」
 「よい」
 部屋を出て行こうとするバラモスブロスを、それ、は止める。
 「来訪者を、知り得て居るな、魔王よ」
 「ぶフ・・・ギザまトテ・・・」
 それ、とバラモスゾンビは哂い合い、バラモスゾンビは踵を返し部屋の隅へと消えていく。
 「良いのですか」
 バラモスブロスが訊ねると、それ、は口から瘴気を吹き出し昂揚を露わにする。
 「闇から出で、触れること叶わぬ、運命を砕く好機、仕組まれていたとしても構わぬ」
 それ、は夢を思い出す。
 己を貫く刃の感触、身を焼く炎の熱さ、闇である身体が光に削り取られていく苦痛。
 「キングヒドラ、貴公に任せてある桟橋の守、行かずとも良い、此処に居れ、一人目を此処に」
 キングヒドラは問い質さなかった。それが絶対の命令である以上、従うしかなかった。
 「御意に」
 再び、それ、は夢を思い出していた。
 自分が打ち倒され、闇が行き場を失くし、このアレフガルドに光が満ちていく光景を。
 闇の残滓さえ光にかき消されていく。
 眩しくて、身を焦がす光が、しかし、意識を自我をも失いそうになっていたそれ、にとっては、生れ落ち果てようとする今まで感じることのなかった感覚をもたらした。
 それ、は渇望した。
 「望むなら、あの光、我が手に」

 闇の王、ゾーマは空を握り締めた。
 


 「楽すぎやしねぇか?」
 襲い掛かる大魔神の胴をいとも容易く両断した男は、他の敵をあしらいつつ仲間に訊ねた。
 「確かに、魔王程度のヤツが出てこないのが気になるねぇ」
 衣服に胸当てだけという軽装で、ドラゴンの首を素手で吹き飛ばした女が応えた。
 「・・・油断するな」
 「わかってるわよっ! メラミ!」
 注意を促した青がかった髪の女が剣を振るい、飛びのいた魔物を、赤毛の女の火球が追撃する。
 「誰が何だって、セラ」
 セラと呼ばれた青髪の女は、赤毛の女の言葉に応えることもなく不死殺しの魔剣を携えて先頭に出る。ソードイドやドラゴンゾンビらはゾンビキラーを恐れてたじろぐ。
 「不要な殺生はしたくない、その命惜しくば道を空けよ」
 その言葉に仲間一同が呆れたようなため息をつく。セラは無表情のまま赤毛の女に問う。
 「戦わずに済むなら、この方が良い。違うか、ラティア」
 「今更でしょうが、それに」
 赤毛の女、ラティアは杖に魔力を込めて敵陣を見据える。
 「そんな言葉聞き入れるような利口なヤツが、ここにいると思ってんの? ねぇ、シェン」
 「まったくだね。それと、このやりとりもリムルダール出発してから何度続いているのやら分からないので、そろそろいい加減にして欲しいんだけどもね」
 「む」
 武道着に身を包んだ素手の女、シェンが苦笑混じりに文句を言うと、僅かに表情を変化させてセラが不機嫌になる。
 そうしている内にも、魔物は彼らにいつ襲い掛かろうか機を窺っている。
 「まぁ、待てよ」
 「アルス」
 アルスと呼ばれた男は魔物達の牽制も気にせず、セラの前に進み出る。
 「戦わずに済むってんなら、それの方がいい。実際そろそろ瘴気が濃くなってきたしな」
 雷神の剣を握った手をだらり、と提げ、アルスは大きく息を吸い込み、魔物の群れを睨みつける。
 「だから、ちぃっとばかし本気ださせてもらうぜ」
 殺意が広がる。
 先程まで意気軒昂と臨戦態勢に入っていた魔物たちは、恐怖から驚き竦みあがり動けない。
 アルスは口の端を吊り上げて笑みを浮かべる。
 「どけよ」
 威圧された魔物達が次々に後ろへ飛び退いていくが、それでも戦意を失わずに敵意を剥き出しにしている魔物がアルス達の行く手を遮る。
 「ハ、腐っても大魔王の御膝元ってか。なかなか上手くいかねぇもんだ」
 雷神の剣を肩に担ぎ、アルスはゆらりと身体を揺する。
 次の瞬間、道を塞いでいたサタンパピーやバルログら数匹が身体を四散させて宙に舞っていた。
 アルスは通路の向こう側へと移動していて、退屈そうに首を鳴らしている。
 そこへ牙を剥いたラゴンヌとマントゴーアの群れが襲い掛かるが、激しい衝撃音と共に壁へと叩きつけられる。
 「えげつないなぁ」
 「どっちが」
 アルスの横に並んだシェンは腕に嵌めたドラゴンクロウの感触を確かめる。
 シェンが突撃したことにより飛ばされた魔物達は起き上がり、全方位から最上位魔法をアルス達に浴びせた。
 同士討ちをも厭わずに放たれた炎や吹雪、爆発は辺りを破壊し、一帯の動く物全てを沈黙させた。
 爆発の中心、アルス達の居る場所を除いては。
 魔力の障壁マホカンタと、炎や吹雪を緩和するフバーハによって小さなドームが作られており、四人はその中で無事を保っていた。
 「まったく、後先考えろ。このおバカども」
 「間一髪、怪我は無い?」
 ラティアはマホカンタを解き、セラは仲間が傷を負っていないか確認する。
 「結果オーライじゃないのさ、幸いこの近辺に気配はないよ」
 シェンは瓦礫を飛び越えて、辺りの様子を窺う。
 「魔法使い様と僧侶様のお陰ッス、感謝してまッス。はいはい次行くぜー」
 「少しは反省しろ、このバカ・・・って、うぁ! 溶岩!?」
 アルスの後をついて行こうとしたラティアは、別の部屋が一面溶岩で埋め尽くされているのに驚く。
 溶岩で満たされた部屋は中央に桟橋が架かっていた痕跡があり、しかし今では見る影も無いほど崩れ落ちていた。
 「これは・・・飛び越えろってことか?」
 「このくらい楽勝だね」
 「アホか! 無理だよ! お前らと一緒にするな!」
 落ちれば一瞬にして溶けてしまいそうなマグマの海を前にして準備運動を始めるアルスとシェンに、ラティアは声を荒げる。
 「みんな、ここ空いてる」
 後方からセラの声がしてラティアが振り返ると、桟橋とは逆の方向の壁が崩れ、人一人分通れるほどの穴から廊下が続いているのが見える。
 セラは壁を通り抜けると、穴から顔を出して安全だと伝える。
 ラティアは無茶な幅跳びをしなくてすんだことに安堵し、アルスとシェンは少しつまらなそうに戻ってくる。
 「あ、でも気をつけて」
 崩れかかっている壁をシェンが蹴り壊そうとしたとき、セラが思い出したように告げる。
 「ここから、とても危険だから」
 「あんた、さっき安全だって―――!」
 蹴りの衝撃が壁を粉砕した後、アルス達は向こう側から流れてくる邪悪な空気に顔をしかめた。
 埃を除け廊下に出た一行は、通路の奥に更に地下へと続く階段を発見する。
 「どうやら、ここが順路で間違いなさそうだな」
 ふっ、と瘴気を払うため気合を入れたアルスは、剣を握る手に力を込める。
 シェンは真剣な面持ちで関節を鳴らし、セラは胸の前で十字を切る。
 ラティアが帽子のつばを直すと、アルスは先頭を切って闇の坩堝へと向かって歩き出す。
 階段に近づくにつれて体を蝕もうとする瘴気は濃く濃くなっていき、四人の身体に重く圧し掛かってくる。
 まるで冥界へと繋がっているかのように、先陣のアルスが一段一段をゆっくり降り、他の三人も続いて降り始める。彼らの顔はうっすらと汗ばんでいた。
 階下は暗闇だった。
 上の階の光が差し込む場所に於いて闇が不規則に動いている。それは眼前に広がる全てが一つの巨大すぎる生き物のようにさえ見える。
 視界を確保する為ラティアが炎を灯そうとした時、左右に篝火が焚かれる。
 アルス達が篝火へと向かって歩くと、その更に先に同じように篝火が行く先を照らす。
 「誘ってんのか、面白れぇ」
 アルスが歩調を速めて先を急ごうとする。
 「ちょっと、もっと慎重に」
 「この状況じゃ、ゆっくりするだけ危険だよ。時間をかければ潰される」
 普段は強気なシェンらしからぬ言葉に、ラティアはそれ以上何も言えなくなる。
 生身で海の底へ向かっているように、闇は圧力を増して彼らの心を押し潰そうとしてくる。
 「・・・見えてきた」
 セラが闇の奥に浮かび上がる影を確認する。
 篝火が灯る度、地下空洞の形が鮮明になり、神殿の柱が照らされその影は大きくアルス達に覆いかぶさるように伸びる。
 火が灯る。
 燭台の傍を通る度、炎の光は地下の闇を少しずつ切り裂いていく。
 神殿の奥に近づく度、明るくなっていく景色とは反対に禍々しい瘴気は濃くなっていく。
 そして、幾つ目かの炎が灯された時、篝火は広がるように連鎖して点り、神殿の全貌を明らかにする。
 ラティア、シェン、セラは一瞬だが萎縮した。そこにある狂気に。

 部屋の中央、正面の玉座、人型をした闇が深く腰を下ろしている。

 ラティアは何かから逃げるように、隣に立つアルスの顔を見たが、アルスの視線はそれを捕らえていなかった。玉座の前、床に何かが落ちている。
 人の形。
 物ではなく、四肢が投げ出され、大の字を書くように仰向けに倒れている。
 辺りには血痕が飛び散り、見るも無残な状況だった。
 だが、それよりもラティアは、倒れている人物に見覚えがあった。故郷アリアハン、アルスの実家、額縁に嵌められた絵の中の、赤子を抱く勇壮な男の顔。生死も分からず行方知れずになった英雄の姿。
 アルスの父、オルテガが横たわっていた。
 「ア・・・」
 ラティアは再びアルスを見るのを躊躇った。
 今まで感じたことの無い程の怒りと殺意がアルスから発せられているのを感じたからだ。
 それはセラもシェンも例外ではなく、身体を強張らせて、両方から襲い掛かる圧力に耐えている。
 「・・・ルス?」
 刹那、アルスが居る筈の床が弾け、礫が宙に舞う。
 大気を震わせるほどの咆哮を上げてアルスが闇に向かって飛び込む。
 しかし、アルスの行く手を阻むように爆発が起こる。最上位爆発魔法、イオナズン。
 「誰が此処を通すと言った、下賤の族よ」
 爆炎の隙間から、何時の間に現れたのか、バラモスブロスが道を塞いでいる。
 「ブロス、見誤ったか」
 「は?」
 闇の王、ゾーマがバラモスブロスに失望する。己の力量と相手の力量を量ることもできなくなったのか、と。
 ゾーマに真意を問い質そうとしたバラモスブロスは、己の視界が床に近づいていることに気がつくのに暫くかかった。
 その視線の先にはアルスが居た。バラモスブロスには目もくれず、爆炎を振り切ったことにより焦げた身体を気にもせず、その身はゾーマへと向かっていく。
 身体が地に伏せる音を聞いてバラモスブロスは漸く気がついた。己の身体が分かたれていることに。
 アルスが床を蹴り宙に舞う。雷神の剣を上段に掲げて、刀身に閃熱と稲妻を走らせる。
 最上位雷撃魔法、ギガデイン。
 加えて雷神の剣から熱線が放射される。斬撃が強大な光を帯び、ゾーマを両断せんと襲い掛かった。
 眩いばかりの閃光が神殿を白く染め、轟音が地を揺るがす。
 ラティア達は堪らず目を瞑る。 
 「テメェ・・・!」
 光が晴れ、アルスが忌々しそうにゾーマを睨みつける。
 雷神の剣はゾーマの頭上にて静止したまま、なお電撃を放っている。ゾーマは微動だにしない。
 その周囲を取り巻く闇の衣によって、剣は絡め取られ無力化されていた。
 ゾーマが腰を下ろしている玉座が斬撃の余波で縦に両断される。ゾーマは闇の衣でアルスを弾き、緩慢な動きで立ち上がる。
 アルスが着地すると、シェンに続き、セラとラティアが駆け寄ってきた。
 「アルス」
 ラティアが口を開いて何か言おうとするが、アルスはそれを手で制して黙させる。
 「これは、アイツの覚悟の上での結果だ。何も言うんじゃねぇ」
 オルテガの遺体はイオナズンの衝撃で神殿の隅へと飛ばされていた。ラティアは、その光景を見まいと目を背けているアルスの服の裾を掴む。
 「ちょっと、やっこさんヤル気のようだよ」
 シェンがラティアの注意をゾーマに向ける。ゾーマはローブから腕を伸ばし、事切れているバラモスブロスを指差す。バラモスブロスの肉体は地中から飛び出した闇に捕縛され、泥沼に沈むかのように取り込まれていった。
 「愚かな奴よ」
 ゾーマは何の感情も示さずに言葉を吐き、アルス達を見遣る。
 「さて、待たせたな、ルビスの徒、大いなる翼の」
 バラモスブロスを取り込んだ闇がゾーマの周囲に集まっていく。ゾーマを中心に闇が渦巻く。
 「終末を、終わらない輪の、我もまた解脱に至る、運命を殺害せよ」
 闇が触手を伸ばす。壁際に打ち捨てられていたオルテガの遺体を掴み、侵蝕する。
 オルテガであったはずのそれは、次第に闇に溶けて消えていった。
 アルスはそれを黙って見ていた。もう会うことの出来ない父との最後の別れ。
 「足りぬな、あれに比べれば、だが永劫の歯車は違えた、動き出す、定め無き時代が」
 ゾーマの言葉半ばに、真空波が闇の衣に捕縛される。下級風陣魔法バギ。
 セラが腕を振るいバギを繰り出し、これ以上ゾーマが口を開くことを禁じる。
 「理解しようとは思わん。ただ、貴様はやりすぎた」
 セラは正眼にゾンビキラーを構える。シェンは全身から闘気を立ち昇らせてドラゴンクロウを腰に溜める。
 「あたしに難しいこと言われても困るんだよ。ヤるかヤられるかしかないだろ? 今は」
 「アンタだけは許さない!」
 魔道士の杖を握り締め、ラティアは魔力を込める。
 「運命とか、平和だとか、そんなこたぁどうだっていい。俺にあるのは、全力でテメェをぶっ殺す事だけだ」
 刃先をだらりと下げ、ゾーマに対してのみ殺意を放つアルス。
 「来い、光よ、打ち砕いてくれよう、全て」
 ゾーマの台詞を皮切りに四人は飛び出す。
 「ラティア! アレを」
 アルスとシェンの後方を走るセラが叫ぶと、ラティアは頷いて道具袋から金色の宝玉を取り出す。
 竜の女王より授かりし、闇を払う対魔の宝玉。ラティアは光の玉を頭上に掲げる。
 「光よ!」
 ラティアの魔力に反応して玉は光を放つ。光の束は無数に飛び出し、ゾーマに向かっていく。
 あらゆる闇を相殺し、闇の衣を剥がす為に創られたそれは、しかし、ゾーマの闇の衣を消し去ることは無く、漆黒の闇に弾かれる。
 「な・・・!?」
 一行は驚愕する。起こりえない事態が起きたことに、またこれから起こるであろう絶望に。
 「竜の遺産か、知り得て居る、此の我ならば」
 ラティアの手の中で光の玉が音を立てて崩れる。機能しなくなった玉を呆然と見つめるラティアに怒号が飛ぶ。
 「ぼさっとしてんな! ハナっからそんなもん当てになんかしてねぇよ!」
 「行くよ! 援護しな!」
 アルスとシェンがゾーマへと突撃する。セラはすかさずスクルトを唱え、全員の身体を強化する。
 一拍遅れて、ラティアがアルスとシェンにバイキルトをかけ、攻撃魔法の詠唱に移る。
 最上位火球魔法メラゾーマ。
 放たれた火球とアルス、シェンの攻撃が重なり、闇を払おうとするが空しく打ち払われる。
 そして、先の見えた戦いが始まった。



 「あ・・・・・・グ」
 ゾーマの闇によって頭を鷲掴みにされたセラが呻き声を上げる。
 その身体は剣を握る力も残されておらず、ゾンビキラーは床に突き刺さったまま引き抜かれないでいる。
 神殿は元の形を見る影も無いほど破壊されていた。壁には大きく陥没した形跡があり、シェンはその下で力無く項垂れていた。心の臓が動いているのかも分からない。
 アルスは雷神の剣を杖に、まだ二本の足でゾーマに対峙している。呼吸は荒く、身体の所々は裂傷により流血している。最早気力だけで立っている状態だった。
 ラティアは足を負傷し、アルスの後方でしゃがみ込んでいた。回復できるセラは魔力が尽き、アルスもまた、ラティアを回復するほど魔力に余裕がない。
 ゾーマはセラを大きく持ち上げ、地面に向かって勢い良く叩きつける。声を出すことも出来なくなったセラは数回跳ねた後、意識を失い戦闘不能に陥る。
 「セラァッ!」
 ラティアが叫び、地面に腰を下ろした状態でゾーマに向かってイオナズンを放つ。それに乗じてアルスが雷神の剣を振るいベギラゴンを併せる。
 爆熱と閃熱がゾーマを包むが、直ぐに凍てつく波動によってかき消されてしまう。爆炎が霧散すると同時に凍える吹雪を吹きつけたゾーマは、更に最上位氷撃魔法マヒャドを浴びせてきた。
 「マホカンタァァァァ!」
 ラティアがアルスの前に障壁を張るが、凍える吹雪だけは防げずに二人は直撃を受ける。
 吹雪が止んだ頃、ラティアは寒さに震える自分の体を抑えるだけで精一杯だった。目の前のアルスはラティアの盾になり、その足は氷によって地面に縫い付けられている。
 「ラト」
 アルスはラティアの名前を呼ぶ。振り返らずに、その闘志は折れることなくゾーマを見据える。
 「おまえ、キメラの翼持ってるよな」
 ラティアはアルスが何を言わんとしているのか理解できなかった。袋の中身には確かにキメラの翼が入っているので、ラティアは何も考えず肯定した。
 「うん・・・持ってるけど」
 「そうか」
 アルスは顔をラティアに向けて微笑んだ。果敢なく、何かを悟りきった笑み。
 魔法使いであるラティアは魔力の反応を感知し、そこで漸くアルスの真意に気がつきアルスへと手を伸ばす。
 「リレミト」
 アルスは手の平をラティアに向けて呪文を唱える。構造物内にて、術者が起点と指定した位置に強制送還する緊急脱出魔法。
 「ア―――!」
 「せめて、おまえだけは」
 アルスの名前を呼ぶラティアの声が擦れていく。最後の魔力を振り絞って放ったリレミトは、ラティアを転移させる。
 魔力の軌跡が消える頃、アルスは雷神の剣から閃熱を発し、自分の足元を焼き払う。
 肉の焦げる匂い。痛みすら感じなくなった自分の身体に、アルスは深くため息をつく。
 「ホイミすら出なくなったよ」
 「まだ踊るか、戦士よ」
 ゾーマは一部始終を見ながら、あえて手を出さなかった。
 アルスはハ、と一笑して雷神の剣をゾーマに突きつけて言い放つ。
 「当たり前だろ」
 刀身に再び光が宿る。
 ゾーマは闇の衣を、更に黒く濃く染める。
 アルスは走り出す。小走りから駆け足に、壊れてゆく自分の脚を気にもせずに、やがて疾走する。
 光と闇が交錯する。
 どちらのものとも分からない咆哮が空間を揺るがし、衝撃が広がる。



 「あ・・・」
 ラティアは地上に居た。ゾーマの城の前、魔の大陸の大地に腰を下ろしたままの格好で。
 何が起きたのか、何をされたのか、理解し受け止めるまでに時間がかかった。
 「あ・・・あ」
 助けられた、いや、置いて行かれた。これから始まるであろう絶望の広がる時代の世界に。
 それが愛する者からの贈り物だった。
 なんとしても、この世界を生き延びて欲しいという、不器用な勇者の願望。
 ラティアの目が後悔で滲んでいく。
 何故あの時、アルスの手を取らなかったのか。一瞬でも早くアルスの真意に気付いていたなら。

 魔の大陸が揺らぐ。

 強大な力と力の衝突により、地が響き、空気がどよめく。
 次第に地響きは収まり、辺りは静寂に包まれる。まるで何事もなかったかのように。
 ラティアにはもう一度あの場所に単身で乗り込むほどの力は残されていなかった。また、その勇気も折られていた。
 あの場所、あの状況で、最後に立っているのが誰なのかは火を見るより明らかだった。
 ラティアの目に涙が溜まる。
 「ぁ・・・あぁ」
 腰に提げてある道具袋からキメラの翼が零れ落ちる。
 それを見て、シェンを、セラを、アルスを置き去りにして、自分が此処に居ることに戸惑う。
 旅をしてきた。
 決して楽な旅ではなく、幾度もなく命を落としかけたこともあった。
 それも、仲間が居たから乗り越えていけた。親友達と、大切な人がいるから耐えてこられた。
 大地に涙が零れる。
 縁起でもないのに、ラティアの脳裏には彼らとの日々が巡り巡っていく。
 「セラ・・・・・・・・・シェ・・・ン」
 咽び泣きながらラティアは空を見上げる。明けることのない闇に包まれた空を。
 「セラァ! シェンッ! ッァァァァァア!」
 ラティアの叫びは虚しくかき消されていく。誰にも聞かれることの無い慟哭。
 泣きながら、ラティアは最後に彼の名前を呼ぶ。
 幼い頃からいつも一緒に居た、魂の片割れ。常に前を歩いてくれる頼もしい背中。
 「アルスゥゥゥウ!」
 
 ラティアの叫びは、もう何処にも届かなかった。
 
 


 
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