「おい、おまえ」
 少年は背後から声をかけられ、振り返った。
 辺りには自分以外に誰も居ない筈なので、その誰かを呼ぶ声は自分に向けられたものだと理解した。
 ある酒場の裏手、木が茂っていて、普通の人なら寄り付こうとはしない場所。
 少年は膝を抱えて座っていた。そこに急に声をかけられたものだから、表情には出なかったが内心驚いていた。
 「おまえか、ルイーダのねえちゃんのコドモってのは」
 馴れ馴れしく少年に話しかけてきたのは、少年よりも少し背が高く年上に見える少年だった。
 その少年の隣には、同じくらいの年の少女が立っていた。
 「アルス、せいかくにはヨウシだから」
 養子、その単語に少年は身体を竦ませる。やはり、自分は棄てられたのだという事を思い出し、目に涙を滲ませる。
 「んなのかんけーねーよ! ラト、おまえなにしにこんなトコまできたとおもってんだよ」
 アルスと呼ばれた少年の声は良く通る。一言一言が身体に響いて、しかし、繊細になっていた少年の心に障ったのか、少年は嗚咽を漏らして泣き始めた。
 「ばか、アルスが大きなこえだすから」
 「おれのせーかよ、ったく、ホラ! なくな!」
 アルスは少年の頭に手を乗せて、くしゃりと撫でる。少年はその手が温かいと感じた。
 ただ撫でられているだけなのに、まるで、自分を拾ってくれたルイーダと言う女性に抱きしめられた時のようだった。
 少年は泣き止んで顔を上げた。そこには困った顔をしているアルスがいて、ラトと呼ばれていた少女が面倒臭いと云わんばかりに口をへの字に曲げていた。
 アルスは少年が話の出来る状態か見定めてから、話題を切り出した。
 「なぁ、勇者ごっこやろうぜ!」
 「・・・ゆうしゃごっこ?」
 少年が話しに食いついたのを見て、ラトが身を乗り出してきた。
 「そう! ゆうしゃごっこ! みんなでなかまになってモンスターをやっつけるの。ちなみにわたしは魔法使いだからね」
 ラトは手頃な長さの木の枝を振り回して「メラ」と呪文を何回も唱える。
 「で、おれは勇者。みんなのまえに立って、てきをバッタバッタとたおすんだぜ」
 アルスも木の枝を拾い、剣に見立てて空を切る。
 真っ直ぐな瞳。アルスは空に浮かぶ大魔王の像を切り伏せて、世界に平和を取り戻す。
 少年は、アルスならそれができるかもしれない、と何の確証も無く思った。
 「あ・・・その、ボクは・・・」
 「なにがいい? ゆうしゃと魔法使いはもうダメだから、そーりょ、ぶとーか、せんし」
 「それと、しょうにん、とうぞく、あそびにんだな」
 ラトとアルスが指折り数えて説明するが、少年は覚えきれずに混乱するだけだった。
 「あ、あとけんじゃがあったな」
 アルスが思い出したように言うと、ラトは興奮を抑えきれないようで木の枝をぐるぐると回す。
 「ケンジャはえらばれたひとだけがなれる、エリートなんだから!」
 「ケンジャ・・・?」
 少年が首を傾げると、ラトが間に割って入って騒ぎ始めた。
 「ケンジャはダメッ! そう、なかまにはもりあげやくがいないといけないから、キミはあそびにん」
 「アソビニン・・・なにを、していれば・・・いいの?」
 「きまってんだろ、あそぶんだよ。なかまがおちこんでいるとき、くじけそうなとき、あそんでげんきづけるんだよ」
 それは素晴らしいことだ、と少年は思った。だが、自分にそんなことが出来るのかと不安になった。
 遊び人である筈の自分が落ち込んでいたら、誰が励ましてくれるのだろう、と少年は思った。
 「おい、あそびにん・・・・・・いやなかまよ、なまえはなんていうんだ」
 広い世界に落とされた少年の唯一の持ち物。
 「ユーナ」
 アルスは少年ユーナの手を引いた。その温かな手で、ラトもまた片方の手を取ってユーナを立ち上がらせる。
 「よろしく、あそびにんユーナ。ようこそ、わたしたちのパーティーへ」
 ユーナは立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。
 木陰から日のあたる場所へ、光射す向こう側は少年達の冒険が待っている。
 少女が魔法を唱える。
 少年が魔物に切りかかる。
 少年はそれを応援する。小さな声で、少しずつ高揚していく心を感じながら。
 彼らの行く手にはアリアハンの広々とした町並みが広がっていた。



 丘の上から、六日ぶりに眺めるアリアハンの町並みは相変わらず美しかった。
 遠くには内海に浮かぶ小島に塔が建っているのが見える。
 辺り一面は草原が広がっていて、羊飼いが羊を追っている声が微かに聞こえる。岩山から吹き降ろす風が海へと流れ旅立っていく。
 ユーナの金色の髪がなびく。陽光を受けて波打ち輝く。
 空は快晴で、ユーナは影になるような場所を探すが、辺りには高木など生えていない。
 年を重ねるごとに、見える景色は高さを変えていく。数年前まで見上げるだけだった低木に、肩を並べるほどにユーナの背も伸びていた。
 アリアハンにある酒場の主人、ルイーダの養子となってから十年が過ぎ、ユーナは十六になった。
 幼馴染のラティアは二十、アルスは十八になっている筈だった。
 ユーナはアルスの事を思い出して心苦しくなる。
 消息不明。一週間前にアリアハン中に張り出されたアルスとその仲間、セラとシェンの事実上の訃報。
 同時に公表された地下世界の存在と、魔王バラモスをも凌駕する大魔王ゾーマの存在は人々を震え上がらせた。
 バラモスを倒した勇者アルス一行は地下世界に乗り込み、大魔王ゾーマに挑むも敗れ、現在は消息不明である、と触書きには記されている。
 アルス一行が消息不明であるとアリアハン王朝が何故知り得たのか、誰も近寄ることの出来ない魔窟に乗り込んでいった勇者達の顛末を、どうして把握しているのか。
 それは唯一の生還者、魔法使いラティアがアリアハンへと帰還していたからであった。
 大魔王との決戦の後、命からがら生還したラティアはアリアハンへ戻り、アリアハン王へとゾーマの軍勢に対する準備を要請した。
 光の力さえも打ち砕く程に強大となったゾーマが、地下世界と地上世界を掌握するのも時間の問題であり、各国にこの事態を知らせるべきだ、と。
 ラティアが帰還したのが触書きが張り出される一日前。アリアハン王朝がナジミの塔の老賢者アルベルトに協力を求め、各国に伝令を飛ばしたのがその翌日。
 またその翌日、アリアハン王朝は全国土に向かって兵と冒険者を募った。
 それは半ば強制的な徴兵であったが、国民も事態の深刻さを理解していたのか反発は少なく、十六歳以上で壮健な者達はアリアハン軍へ、または冒険者ギルドへと向かっていった。

 ユーナは触書きが出てから、しばらくナジミの塔に篭っていた。
 ナジミの塔の賢者アルベルトが、アリアハンの伝令を世界各国に転送魔法ルーラで送り届けている間、塔の留守番を任されていたのである。
 ユーナが賢者アルベルトに弟子入りしてから二年程過ぎる。
 それは勇者アルスがアリアハンを出立してから間もない頃だった。冒険者ギルドの規定で当時アルス達と共に旅に出ることができなかったユーナは、ナジミの塔の賢者の噂を聞き、いつかアルス達に追いつけるように、と単身塔に乗り込み、アルベルト老に弟子入りを願った。
 結果は門前払いで取り付く島もなかった。しかし、諦めきれないユーナは自身が唯一使える火炎魔法メラを細い形状に変化させ、部屋の扉の鍵穴をこじ開け押し入った所、その技量を見込まれ弟子になる事を許可されたのであった。
 賢者アルベルトの専門は既存魔法の状態変化並びに形態操作。下級魔法であれ、その使用方法次第で十分に上級戦闘に活用できる、と言うのが彼の持論である。
 盗賊の鍵を使用、又は開錠の魔法アバカムを用いない限り開かない扉を、火炎魔法の操作でこじ開けるといった荒業をやってのけたユーナにアルベルトは興味を持った。
 それ以来、週に一度泊りがけで、下級魔法の操作を学ぶためにユーナはナジミの塔に通うことになった。
 だが、まともに魔法を教えてもらった事は一度も無かった。アルベルト老はそんなものは自分で学べ、この自分から技術を盗み取って見せろと基本魔法の本を投げてユーナに渡した。
 半ば放置されたユーナがすることといえばアルベルト老の部屋の掃除と、ゴロゴロしているだけの老人の観察だった。あまつさえじろじろ見ていれば凝視するなと叱られる始末。
 結果、この二年間で学んだのは教科書に載っている下級魔法の習得と、我流の魔法操作。それと時折アルベルト老が見せた操作方法が解らない魔法だけ。
 これ以上ナジミの塔に通っても仕方が無い、とユーナが出立の機会を窺っていたのと、ラティアがアリアハンへ帰ってきたのはほぼ同時期だった。
 ラティアがすぐに仲間を集めて旅に出る事は分かっているので、ユーナはこれが機だと旅支度を整え、塔の留守を任されたのも別れを告げる良い機会となった。
 ルーラで各国を渡っていたアルベルト老はユーナの出立の挨拶を聞くと、「そうか」とだけ言い、ユーナに料理を作るように言いつけた。
 食事の最中、アルベルト老はスプーンを傾け口を開いた。
 「ユーナ、俺ら人間が物を食べるのは何の為だと思う?」
 今までに無い賢者からの質問に少し戸惑ったユーナは、スープを一掬い啜った後問いに答えた。
 「食事無しには生きていけないからでしょう」
 「それもそうだがな、もっと突き詰めると、これを俺らの栄養に変えているからなんだよ」
 アルベルト老はパンを千切り目の前に掲げる。そして、それを口に運ぶ。
 「別の物を取り込んで、力にする。だから動けるし、こうやって話すこともできる。運動は応用されるわけだ」
 「魔力もそうであると?」
 普段より饒舌な賢者が何を言わんとしているかを予想して、ユーナは話に切り込む。
 「まだ何も言ってねぇよ」
 そう言ってアルベルト老は小さく笑う。賢者もユーナが確信に触れることを待ち望んでいたかのように嬉しそうに表情を輝かせる。
 そして、テーブルの上の蝋燭に手を翳す。
 「耳を傾けろ。目で見るよりも鋭く、あるがままを受け入れろ。これが俺がお前に見せる最後の教えだ」
 賢者アルベルトの手の平が灯火に落とされる。炎はその手を焼こうとするが、皮膚には触れず掌に巻き付く。
 賢者は手を蝋燭から引き、炎が取り巻く拳を天井に突き出し人差し指を立てる。
 「メラ」
 業。
 小さな火球が部屋の天井に当たり弾ける。ユーナは瞬きもせずに一部始終を見た。
 アルベルト老は再びスプーンを手に持ち、料理に向かった。それ以上言うことはないとばかりに。
 ユーナも何も言わなかった。
 その後はお互い会話することも無く、寝床に着いた。
 翌日、塔を出る際、アルベルトはユーナに一冊の本を渡した。
 「それはお前の魔力に見合った部分しか開かねぇ魔道書だ。それが書かれた当時に存在していた魔法なら全てが記されている。基本から途轍もないヤツまで。まぁ、俺は全部使えるからいらないんで、お前にやるよ。餞別代りだよ」
 「ありがとうございます、師匠」
 「痒い、気持ち悪い礼なんかするな」
 全身を掻き毟りはじめた老人をよそに、ユーナは背を向け歩き出す。
 「ユーナ」
 アルベルト老に呼びかけられて、ユーナは振り返らずに立ち止まる。
 「死ぬなよ」
 「そちらこそ」
 言うなり、後方から飛び掛ってくるメラの雨を避けながらユーナは笑っていた。
 この二年間は決して無駄ではなかった。なにせ、あの大賢者の一人から研究の極意の一端を教授してもらったのだから。僅かの間であれ、それは世界中の研究者が喉から手が出る程欲しがるものである事はユーナにも理解できる。
 ユーナは飛んできたメラを片手で受け止め、横に受け流す。掌が多少火傷したが、火球をまともに受け止めることを考えたら軽いものだった。
 掌に回復魔法ホイミをかけ、ユーナは賢者アルベルトを横目で見遣り不敵に笑った。
 「ち、本当にやるとは。俺の研究人生否定してくれんなよ、まったく」
 賢者は弟子の旅立ちを見送ると、部屋に戻って布団に潜り込んだ。また、二年前のような静かな日々が始まるだけだと思い、ゆっくりと眼を閉じた。

 アリアハン城下町の関を通る頃、ユーナは町全体が騒がしいことに気がついた。
 街中を城の兵士が走り回っていて、危急の様子で連絡を取り合い部下と思える者達に指示を出している。その中には最近軍隊に入ったばかりの新兵達がおり、軍の空気に慣れていないのか浮き足立ち動いている。
 町の人々の表情も暗く沈み、良くない事が起きているのを示している。
 ユーナは胸騒ぎがするのを感じて足早にルイーダの酒場へと急ぐ。
 酒場の集まる繁華街は城下町の関を抜けて左手にある。冒険者ギルドアリアハン支所を兼任するルイーダの酒場は、その中でも一二を争う大きさである。
 冒険者の招集がかかってからというもの、軍規に縛られるのを良しとしない者達がギルドへの登録をする為にひっきりなしにやって来て、今や道端まで列を作るまでに人が溢れている。
 ルイーダの酒場に勤めている給仕達は外を中をと忙しく駆け回り、登録待ちの冒険者志望の人達に酒や食べ物を運んでいる。ユーナはそれに巻き込まれるのを予想し、酒場の裏口から自分の部屋に戻ろうとした。
 「ユノォォォ? 一体何処に行く気なのかなぁ」
 声と共にユーナの肩が強く掴まれる。ユーナが渋い表情で振り返ると、そこには給仕姿で盆を片手に怖い顔をしている魔法使いラティアがいた。
 ラティアが小さく「ボミオス」と呟くと、ユーナの身体は鉛を乗せられたかのように重くなり走って逃げ出すことも侭ならなくなる。
 「このクソ忙しい中、アルベルト爺さんの塔の中で引き篭もって、その間アンタの仕事の殆どを大魔法使い(予定)である私に押し付けておいて徒歩で帰ってくるなんて御苦労様な事で」
 ラティアはユーナの両頬を鷲掴みにすると、顔を寄せて凄んだ。
 「まさか、この状況を見て自分だけ楽しようとか思ってるんじゃないでしょうねぇ」
 「へっほうほふぁい」
 滅相もない、と言葉にならなかった声を出して、ユーナはラティアの手を振り払う。その身体はもう通常通り動けるまでに回復していた。
 「あ、魔力抵抗上がってるじゃない、ユノのくせに生意気な」
 「僕のくせに、ってなんだよ。ったくこういう時ばっかりは目ざといんだからなぁ」
 「ならもういっちょくらってみるか? 今度は呼吸止まっちゃうかもよ」
 冗談にならないとユーナは凄い勢いで後ずさり、ラティアは冗談だと笑い飛ばす。
 溜め息をついてラティアの元に帰ってきたユーナは、疲れた表情で両手をラティアに差し出す。
 「全く、ラティアの冗談はどこからどこまでが本気なんだか。ほら、手伝うからさ」
 「よろしいよろしい」
 ラティアはユーナの手を取って酒場へと向かう。給仕に連れられている姿というのは目立つらしく、登録待ちの見知らぬ人々から視線を受け、顔見知りからは「帰ってきたのか」と挨拶される。
 ラティアに連れられながら、ユーナは疑問に思っていたことを訊ねた。
 「なぁ、ここ六日程で何かあった? なんか町が兵士で騒がしいし、雰囲気が暗いんだけど」
 「ん? ああ、あったよ」
 列に並んでいる客から注文が入る。
 店の前で注文を受けながら、ラティアは何気ない様子で応える。
 「イシスが落ちた」
 ユーナは言葉に詰まる。ラティアの吐いた言葉にも当然驚いているのだが、それよりも何事もないような様子で話した彼女の態度に真意を見失った。
 「なに驚いてんの」
 店のドアを開いて、ラティアとユーナは中に入る。光の加減で眼が眩んだユーナは「だって」と繋がらない言葉を紡ぐ。
 店内は大勢の客で騒然としていて、二人が入ってきたことに殆どの客は気がつかない。
 「私がアリアハンに伝えに来た事はこういうこと。竜の女王が亡くなって、地上の結界が緩んでいる今、いつあいつらが襲ってきてもおかしくないということ」
 奥のカウンターに着くと、ラティアは厨房に向かって注文を読み上げ繰り返す。
 すると、中から疲弊しきった様子の女性が出てきて了解を告げる。そして女性はユーナの姿を認めると無言のまま厨房へと引っ張っていく。
 「ちょ、母さん」「いいから黙って手伝いな」
 成す術も無く引きずられていくユーナがラティアの方を向くと、ラティアはにやりと笑って手の平を振る。
 「話は夜にでもできるよ、暫く六日のサボり分を償ってきな」
 ラティアの言葉半ばに、ルイーダに頭を叩かれたユーナは渋々厨房の中へと入る。
 砂漠の大国イシスが数日の内に、時間もかけずに陥落したという事実がユーナの脳内を駆け巡る。
 賢者アルベルトはこの事を知っていたのか、また敵の規模はどれ程のものなのか、自分は一体何を成す為に冒険者となるのか、とユーナは考えていたが、それもやがて仕事の忙しさに呑まれて消えていった。

 夜になると、ギルドの登録所は閉められ冒険者達は各々の宿へ帰り、酒場は賑わってはいるものの昼間ほどの混雑はなく、ユーナ達にもようやく暇ができるようになった。
 厨房やホールでは夜勤のアルバイト生が動き、ユーナとラティアはカウンターに腰掛け、ルイーダはカウンターを挟んで向こう側で肘を突いて項垂れている。
 「ラティア、イシスの件だけど」
 「ん、ああ、ちょっと待ってて」
 多忙を極めた仕事を終えた後でも元気な二人を恨めしそうに見るルイーダを尻目に、ラティアは手酌でグラスに酒を注ぐ。
 そして、それを一気に飲み干すとユーナの方へ向き直った。
 「ていうかアンタ、アルベルトの爺さんから何も聞いていないの? あの人なら真っ先に知っていると思うんだけど」
 ルーラで各国を回っていたのなら情報が入っていない方がおかしい、とラティアが言う。ユーナは首を捻って「多分、言うのを忘れていたんだと思う」と返す。
 「有り得ない話じゃないからなぁ」
 「そこまで危機感が無い十賢者ってなによ、あんなのに護ってもらってアリアハンは大丈夫か」
 「ラティア、話が逸れてる」
 早く本題に触れたいユーナは不機嫌な様子でラティアを急かす。細かいことを気にするな、とラティアは再び酒を注ぐ。
 「始めっから、順追って」
 「はいはい、えっとね、先ずイシスがゾーマ軍と対峙したのが三日前で、奴らは結界の力が弱まったギアガの大穴から押し寄せてきたらしい。最初はそんなに数は多くなかったようなんだけど、テドン付近やネクロゴンドの魔物を加えて勢力を強めていった」
 「その程度じゃイシスが負けることはないはずだけど」
 「まぁね、ネクロゴンド地方がバラモスに支配されていた時もヤツの軍勢とは何度か小競り合いはあったわけだし、常勝無敗だったんだけどねぇ。あの時はバラモス自身が打って出ていなかったから勝てたってのもあるのよ」
 直にその目で魔王バラモスを見、仲間と共に打ち倒したことのあるラティアの話は、魔王が一国の軍隊を容易に蹴散らせることを示している。
 ユーナ気付き、問う。
 「まさか、ゾーマが」
 「違う、アレじゃなくて」
 ラティアはグラスで机を叩く。単、という音が響く。
 「魔龍キングヒドラ。伍首の巨竜、ゾーマの配下。魔力はバラモスに劣るものの、物理的な攻撃は群を抜く」
 「でも、そんな魔物が一体増えたところでイシス軍が負けるとは考えられないけど」
 ラティアは先程自分が言った事をユーナが理解していないのに気が付き、「ははは」と呆れたように笑う。
 「ユノ、アンタ私達がバラモスを倒せたからって、魔王級の魔族を甘く見ているんじゃない? あの規格外の化け物達と、そこらの多少強い程度の魔物を一緒にしないで」
 ユーナはラティアの目が笑っていないのに寒気を覚える。
 「・・・アスト女王がいて猶?」
 「あ? ん、んん? あ、あー・・・・・・ああ! そういや言うの忘れてた。イシスが落ちたって言ったけど、あれ国が占拠されたってだけで国民の殆どはアッサラームやロマリア、ポルトガに避難してんのよ。女王アストもどっかに亡命したって話だし、前面衝突って訳じゃないんだ」
 「そういうことは早く言ってくれよ・・・」
 ユーナはぐったりと項垂れる。ラティアは大した事じゃない、とユーナの肩を乱暴に叩く。
 「女王でさえ、相打ち覚悟の相手なんだから結果としては英断として褒めるべきよ。むしろ相手にとっては挑んで来ようが来まいが、どちらでも良かったんだから」
 「そのキングヒドラが女王と一対一になり、結界の緩んだところを軍勢が攻める」
 「そう、地上の魔物達だけならイシス兵でも対処できるけど、地下のヤツも結構出てきたからねぇ。イシス陥落を切欠に地上のパワーバランスが崩れるのも時間の問題になりそうなのよ」
 「地下の魔物か・・・」
 ユーナは想像もつかない魔物のことに思いを馳せる。ラティアがグラスに氷を足すと、会話の途切れた二人の間に僅かな沈黙が降りる。
 そこに黙っていたルイーダが割って入る。
 「ところで、ラト、仲間集めの方はどうなんだい。目ぼしいヤツは居たかね?」
 「うーん、なるべく良さそうなのを探していたんだけどねぇ、なんかパッとしないのよ。あれだけ居たのに」
 「ラティアの敷居が高すぎるんじゃないの? どれだけハードル高いのさ」
 ユーナが口を挟むと、ラティアは頬杖を突いて眉根を寄せる。
 「即戦力にできるのが一番、あと欲を言えば一国の兵士長レベルのヤツがいいなぁ、とか思ってたり」
 「そうそう居ないよ、そんなの。オルテガみたいのを、あと三人欲しいだなんて何考えてんだい」
 ルイーダはそう言って笑い、ちらりとユーナを見遣る。
 「あんまり高望みしていないで、少しでも相性の良さそうな冒険者が良いんじゃないかい」
 「どれもこれも似たようなのばっかりよ、セラとシェンに会った時のような感じはなかった」
 ルイーダは当時の様子を思い出して、その通りだと云わんばかりに唸る。そしてユーナに目配せをする。
 ユーナは先程から自分へと向けられている視線に辟易しながらも、自分の考えと相違ないとラティアに話を持ちかけようとした。
 「ちょっと、ルイーダさん、アレ」
 ラティアは後ろへ首を向けて、ルイーダの注意を店の奥のテーブルへ向ける。ルイーダは訝しげにそれを凝視し、何か気付いた様子で腰を上げようとする。
 ラティアはそれを手で静止し、自ら席を立つ。
 「私が行きます」
 ルイーダは「それじゃ、よろしく」と、腰を降ろす。ユーナは何が起きたのかと、歩いていくラティアの背中を視線で追う。
 店の奥では数人の冒険者が卓を囲んで騒いでいる。
 ラティアがテーブルに辿り着く頃には、ユーナは事を把握して眉を潜めた。
 「アンタ達、ここらじゃ見かけない顔だね」
 手元に集中していた男達は、愛想良く話しかけてきたラティアに言葉を返さずに、訝しげに顔を上げる。ラティアは構わずに軽く話を続ける。
 「どこ出身なの? アリアハンの出身じゃない事は確かね、言い当てて見せようか、長髪のアンタ、ポルトガね」
 「合ってるじゃねぇか」
 ラティアが指差した長髪の男とは別に、その仲間が反応する。
 「アンタもでしょ? ポルトガは一年程前まで鎖国状態だったもんね、関所が魔法の鍵で開けられてからロマリアや、その周辺国と交易し始めたもんで異国間との交わりが無い分、人種の見分けは簡単なのよ」
 「一応、船で交易してたから一概に、そうは言えないけど?」
 長髪の男はラティアを値踏みするかのように、上目遣いで睨みつける。
 「話のタネじゃない、当たっててもなくても、関係ないわよ。あ、そっちの子はエジンベアかしら、めっずらしいわね、ポルトガ以上に排他的な国から良く出してもらえたね」
 ラティアが少年に注意を向けると、毒気を抜かれた長髪の男は舌打ちをして椅子に背中を預ける。
 「国は関係ないだろ、ていうか何? 姉ちゃん、俺達に何か用でもあるの」
 ラティアは口の端を上げる。
 「あ、そうそう、忘れてた。こっちが本題、アンタ達ここじゃソレは御法度だよ」
 ラティアの示す方向はテーブルの上、数枚のカードと硬貨が投げ出されている。男達が反論する前にラティアが言葉を繋ぐ。
 「ここっていうか、アリアハンは賭博行為禁止されているの知らなかった? 法律で」
 最後の言葉に男達は黙る。しかし、長髪の男だけは猶も食い下がった。
 「んなの、誰でも裏ではコソコソやってるだろ。俺達は明日此処を発つ、お前が看過すれば良いだけの話だろう」
 「この酒場でやるなって話だよ。これでも国から認可されてギルドの窓口を任されているんでね、看板に泥塗るような真似はしないでくれる?」
 明らかに喧嘩腰で注意するラティアに、ユーナは心配せずにはいられなかった。相手は多勢、ユーナはいつでも飛び出せるように体を前に傾ける。
 男が眉間に皺を寄せて睥睨するのを、ラティアは不敵な笑みで返す。両者寸分も引かず、少しの間の後、男が口を開いた。
 「魔法使い、お前、名前は」
 「ラティア。あと、大魔法使い(予定)ね」
 ラティアが名乗ると、男は噴出し哄笑する。男はひとしきり笑うと目尻の涙を拭って、頬を引きつらせながら卓に肘を突く。
 「そうか、お前が、かの有名な」
 男は笑いの名残を抑えようと顔を片手で覆い、指の隙間から目を覗かせた。
 「負け犬、か」
 戯。
 ユーナは異質な魔力によって空気が僅かに軋むのを感じた。ほんの一瞬、魔道に通じて魔力の感覚に慣れている者ですら、気をつけなければ知覚できないであろう一瞬。
 男はラティアの弱みを突いたと思ったのか、言葉を畳み掛けてきた。
 「成る程、道理でポルトガやエジンベアの知識がある訳だ。そういやウチの国にも来てたな、バハラタの黒胡椒と引き換えに船持って行ったな。バラモス討伐の英雄の一人、そして、大魔王に挑み仲間を見殺しにしておめおめと逃げ帰ってきた腰抜けだったか?」
 「お、おい」
 仲間の一人が男を嗜めようとする。
 ラティアはバツが悪いフリをして男達の様子をざっと探る。ラティアの高名に少し怖気づいているのが数名。会話の雰囲気に乗り、強気な姿勢を崩さない者。先程のように長髪の男の言動を心配している者は少数だった。
 傍観を決め込んでいるルイーダは、ラティアの行動に呆れる。
 「そんなときまで品定めするんじゃないよ、まったく」
 「・・・心配して損した」
 ユーナも同様に緊張を解き、これ以上のいざこざは無いと判断してカウンターに向かう。
 一方、長髪の男はラティアへの誹謗を止めない。
 「それで、今度は故郷に戻って酒場の警備員か。アリアハンの駆け出し冒険者相手に我が物顔するのが大魔法使いの仕事?」
 「ちょっと聞くけど、アンタ職業は戦士?」
 「あぁ?」
 話の流れを無視したラティアの問いに、男は意表を突かれて調子を狂わす。
 「あ、アニキは僧侶なんだ。武闘派の僧兵」
 「お前は黙ってろ!」
 傍らにいた腰の低そうな男が割って入ってきたが、長髪の男に小突かれて大人しくなる。
 「惜しい!」
 ラティアが突然声を張り上げ、男達は反射的に体を強張らせる。
 ラティアは額に手を当て天井を仰ぐ。
 「あ、あ〜、回復担当はもう間に合ってるのよねぇ。期待はずれ! 残念! というわけでアンタ達、今すぐ博打を止めるか、この店を出て行くかのどちらかを選びなさい」
 「・・・な!?」
 男達はラティアが今の遣り取りに於いて、なんら堪えている様子が無いことを知る。
 それどころか、今までの会話が全てラティア自身の仲間足り得る実力を持っているかどうかの査定でしかなかったことに呆然とする。
 「言っておくけど、忠告を無視したら叩き出すからねー」
 手をひらひらと振って男達に背を向けるラティア。長髪の男は席を立ち、壁に立て掛けてあった武器に触れる。
 刹那、酒場の空気が凍り付き、その場に居た全員が固唾を呑んだ。
 膨大な魔力の奔流。魔力の無い者でさえ、そのプレッシャーに胃を縮める。
 ラティアは首だけ後方の男に向ける。
 「何、やるの?」
 「あ、いや・・・」
 男の手は武器に当たり、床に倒れた武器は静寂の酒場に音を反響させる。
 「・・・なーんて、冗談よ、冗談! みんな何マジになってんのよ。どうも、お騒がせしましたー、すいません、あいすいません」
 飄々とした態度で方々に頭を下げて回るラティアに、皆苦笑いを浮かべながらも、酒場は徐々に元の喧騒を取り戻していく。
 一人立ち尽くす男は、苦虫を噛み潰したような表情で何も言わずに酒場を出て行った。その仲間も慌てて男の後を追って出て行く。弟分の男がルイーダの元まで駆け寄ってきて、バツが悪そうに代金を払い逃げるように立ち去っていった。
 それを眺めながらルイーダは席に戻ってきたラティアに愚痴をこぼす。
 「儲けが減った」
 「何を言ってるんです、王宮に知られたら困るのはこっちなんですから」
 「それとこれとは話が別さ、仕方なかったとはいえやり過ぎ、こっちの寿命を縮める気かい」
 加減ができない、とラティアは呟き、氷が溶けきり薄くなった酒をあおると、ユーナの肩を支えに立ち上がる。
 「というわけでよろしく」
 「は?」
 ユーナの頭を軽く何度か叩き、ラティアは酒場を出て行く。
 残されたユーナがルイーダの方へ回答を求めると、「よかったじゃないか」とユーナに理解しかねる答えが返ってくる。
 「さぁ、もう遅い時間だ、明日は早いんだから今日はもう寝な、ユーナ」
 「うん・・・」
 ルイーダに促され、釈然としないユーナは席を立ち奥の部屋へ向かう。
 ユーナはふと立ち止まり、ルイーダの方へ振り返る。
 「なぁ、母さん。イシスの事を聞いたとき、どう思った?」
 ユーナの問いにルイーダは暫し考え、言葉を選ぶ。
 「被害が少なかったのは良い事だと思った。けど、いくら生き延びたって、生まれ育った場所を失うのは辛いだろうよ。魂はいつもそこを寝床としていたんだからさ。帰る場所ってのは、大事だよ、戦い疲れて眠る場所は必要さ」
 ユーナは礼を述べ自室へ帰って行く。
 ルイーダは柄にも無いことを言ってしまった、と顔を赤くしてカウンターに突っ伏した。



 夜が明けきらぬうちにユーナは目覚めた。胸騒ぎがした。
 夢見が悪かったわけではない、夢は見なかった。だが、ユーナはそれに違和感を感じた。
 夢を見ない日など幾らでもある。瞼の裏の暗闇で考えることはなく、気がつけば朝になり現実に帰る。
 ユーナはそこで気がついた。帰還ではなく、何かが始まる出立の予感。
 今日も今日とて日常が続いていく筈なのに、事の大きさに係わらず何かが起ころうとしている気配をユーナは感じていた。
 背中が粟立つ。興奮と、未知への恐怖が融けあい、ユーナはベッドの上で身悶え体を丸める。
 眠気など、とうに消し飛んだ。
 暖かい毛布を力強く握る手を離し、飛び起き窓に駆け寄り、窓を開く。
 冷たい風。背中の鳥肌が勢いを増し、ユーナは無音にて叫ぶ。肺から遮るものなく吐き出されていく空気。
 再び体へ酸素を溜め込むユーナ。
 背後にて開け放たれるドア。ユーナは素早く振り返る。
 「さっさと準備をしなさい、置いて行くわよ!」
 荷袋を担いだラティアが立っている。ユーナは瞬時に昨夜のラティアの言葉を理解する。
 「着替える、待ってて」
 言うなり、ユーナはクローゼットから予め用意しておいた旅装を取り出し、着ている服を脱ぎ散らかす。
 「落ち着きなさいよ、はしたない」
 「大丈夫ッ」
 何が大丈夫なのか理解しかねるラティアは、ドアの傍に置かれている荷袋に気が付き、それを拾う。
 「終わった、行こう」
 ラティアは荷袋を投げ、ユーナはそれを受け止める。
 「アンタ、脱ぎ捨てたモノくらいは片付けなさいよ、子供じゃあるまいし」
 「う・・・」
 調子を崩されたユーナは渋々衣服を籠へと放り込み、空いている方の手で持ち上げる。
 二人は部屋を出る。
 早朝の酒場は静まり返り、広々とした空間を二人分の足音が飛び交う。
 ラティア達は立ち止まる。
 酒場の中央にて、ルイーダが腕組みをして立ちはだかっていた。
 ユーナ達は歩き出す。
 ユーナは衣服の放り込まれた籠をルイーダの目の前に差し出す。
 「洗濯しておいて、母さん」
 「行くのかい?」
 ルイーダの問いに、ユーナは無言で答える。ルイーダは仕方ないといった表情で籠を受け取り、両手で抱える。
 「綺麗にしておいて、また帰って来る時まで」
 「いつになることやら」
 籠を抱く力を強くしてルイーダは失笑し、ユーナを見上げる。
 「今更だけど、おっきくなったねぇユーナ、少し前までこんなだったのに」
 自分の腰の辺りを示して、ルイーダは幼少時のユーナを思い出す。
 ユーナは微笑んで、歩き出す。ラティアも黙って後に続く。
 「そりゃあ、成長期の、男の子だからね」
 「ベッドも小さくなって寝辛かっただろうに、もう少し広い家だったら良かったね」
 「でも、僕の寝床はここにある」
 酒場の入り口で立ち止まったユーナは、振り返って、ルイーダに向かって手を振る。
 「―――貴女と一緒に。・・・いってきます、母さん」
 行ってらっしゃい、とルイーダは小さく呟き、扉の向こう側へと消えていくラティアとユーナの姿を見送る。
 ルイーダの頬を涙が伝う。
 後から後から、止め処なく溢れ続ける。
 こんな時代に出会わなければ良かった、とルイーダは嗚咽をこらえる。
 勇者という希望の光を失った人間達は、なお奮起して立ち上がるが、それは大勢の犠牲が出るということを示している。
 誰も彼も生き残る保証なんて無い。
 帰ってくると言い残した夫を待ち続ける妻は、夫の後を追いかけていった息子さえも失ったのだ。
 せめて、争いの無い平和な世界で出会っていたなら、今日もきっとユーナは憎まれ口を叩いて自分の隣に立っている筈なのに、とルイーダは思う。
 朝日が窓から差込み、店の中に影を落とす。
 床に膝をつき籠の中の衣服に顔を埋めながら、ルイーダは息子の名前を繰り返し呼んで、そして祈る。
 どうか、生きて、と。


 いい気なものだ、とラティアはユーナを見遣る。
 「ルイーダさん、今頃ぼろぼろ泣いてるわよ」
 旅立ちの高揚で不敵に笑みを浮かべていたユーナは、なんてことはないという態度で小走りに先を行く。
 「帰ってくる、って言ったから。帰れるようにするだけさ」
 ラティアは眉をひそめる。だが、何も言わずにアリアハン港へと向かって街道を進む。
 アリアハンの関所を抜けてから、西に向かって街道を半刻ほど歩いた先にアリアハン港はある。
 ユーナはラティアの隣に並ぶ。
 「ところで、アリアハンから何処に行く予定?」
 「ランシール」
 ラティアは袋の中から地図を取り出し、アリアハン大陸の西方に位置する大陸を指差す。
 地球のへそ。大陸の中央にある地下神殿。何時建てられたのかも分からず、神殿を守る一族によって管理されている。
 「ここは生息している魔物の強さが丁度いいのよ、アンタの修行の場所にうってつけ。私がいるから命の危険は無いし、実戦経験を養うのよ」
 「はぁ」
 気の無い返事にラティアは歩みを速くするが、ふと、何かを思い出しユーナに訊ねる。
 「ところでアンタ、職業は何に決めたの?」
 「職業・・・・・・ああ、そういえば一ヶ月程前にギルドで申請したっけ」
 「まぁ、ユノなら魔法使いが妥当なところだと思うけど」
 「え、遊び人だけど」
 布団を叩くときにも似た音がこだまし、ユーナは後頭部を抑えてうずくまる。ラティアは鬼の様な形相で、屈んでいるユーナの背中を蹴りつける。
 「よりにもよって遊び人とは、どういう了見だ! あんな百害あって一利無しの職業を選んだ理由を簡潔に述べなさい」
 「魔法使い選んだら、法術禁止されるじゃないか」
 「魔術ギルド規定では、そうあるけど! もう一回転職すれば上級冒険者としての権利として他の職業のスキルを行使しても構わないって規定もあんのよ!」
 語気を荒するラティアに気おされながら、ユーナはよろめき立ち上がる。
 「アリアハン支部には、そんな目録なかったけど」
 「そうだ・・・登録所自体、初級者しか来ないから当たり前だった・・・あれダーマでしか見れないヤツだ」
 ラティアは軽い自己嫌悪に陥る。ユーナはおそるおそるラティアの顔色を窺う。
 「僕に否は無いよね・・・こういう場合」
 「あるわ! 大有りよ! 遊び人のギルドは職業選択にあぶれた人達が寄り集まってできた無秩序な形式だけのものだから、実際にはあるギルドからの補助も支援も無い。自由であるが故に不自由する職業なのよ遊び人は」
 肩を何度も叩かれ、ユーナはうんざりする。
 「でも、昔は僕が遊び人だったわけだし。あの時アルスとラティアが遊び人は良い職業だ、って言ったのを思い出して決めたんだけど」
 「あれは遊びの一環で」
 それに、と言いユーナは掌に火球を生み出す。小さな火がちらちらと揺らめく。
 「無秩序ならルールも何も関係ないだろ?」
 「・・・アンタ他の冒険者に拾われなくて良かったわね。ユノが見知らぬ他人だったなら、ボミオスかけてアリアハン港に沈めているわよ」
 「うへぇ」
 諦めがついたのか、仕様がないといった表情でラティアはユーナの肩を殴る。筋肉の間に刺し込まれた衝撃にユーナは顔をしかめる。

 風向きが変わる。

 二人同時に顔を上げ、行くべきアリアハン港の方角へ向く。
 何かがおかしい、と二人は辺りから遠方から見渡すが異変は見られない。
 草原、岩山、海、空、浮かぶ雲、流れる雨雲。
 「アレだ!」
 ラティアが驚愕の表情で、遠方を指し示す。雲、海上に浮かぶ巨大な雨雲。
 それは異常な速度で進んでくる。
 ラティアは携帯用の望遠鏡を取り出して筒を覗く。何が起こっているのか分からないユーナはただラティアの行動を見守ることしかできない。
 「冗談じゃない・・・あの数・・・」
 やれるのか、とラティアは声を震わせ、望遠鏡を袋に収める
 「ラティア、いったい何が」
 「ユノ!」
 叫ぶように呼ばれ、ユーナは身を強張らせる。ラティアはユーナの胸に拳を当てる。
 笑っているが、その頬は引きつっている。
 「自分の身は自分で守りなさい、今回ばかりは手が一杯になりそう」
 ラティアはそう言って港へ向かって走り出す。ユーナは慌てて後を追い駆ける。
 「ラティアッ!」ユーナは叫ぶ。
 「ドラゴン! アレは雲なんかじゃない、アレ全部が飛竜の群れよ!」
 走りながら、ユーナは先の黒雲に目を見張る。小さな島なら飲み込んでしまいそうな程巨大なそれが、全て魔物の群れだということを信じることができないでいる。
 もし、ラティアの言っていることが真実なら、あの雲がドラゴンの群れだとしたなら。
 (敵う? 分からない、だって僕は、ラティアは本当のことを、数が、ドラゴン? ・・・死ぬ?)
 黒雲が煌めく。
 キラキラと光が点り、数秒の後、思考しているユーナの傍らを炎の塊が通過していく。
 鈍。鈍、鈍鈍鈍鈍。
 アリアハンの草原に炎弾が幾つも突き刺さる。方々で火の手が上がる。ユーナは確信に至る。
 ようやく信じることができる、アレがこれから自分の立ち向かう相手であることに。
 「ユノォ! 急げッつってんでしょうがァ!」
 叱咤され、ユーナは足を速める。ラティアに追いついた頃には、もうアリアハン港は目の前だった。
 港は騒然としている。灯台守から情報が伝達したのか、ラティアのように望遠鏡で確認したのか、「ドラゴン」「飛竜」といった単語が飛び交っている。
 そうこうしている間にも遠方から火炎の玉が降り注ぎ、港を破壊していく。
 攻撃の届かない相手に、新米冒険者はおろか故参冒険者でさえ浮き足立ち、混乱は加速的に広がり、統率を執る隙すらない状況に陥る。
 牙、牙牙牙、牙牙。
 ユーナとラティアの間から、傍を行く人の胸から、壁から氷柱が突き出す。
 周囲から悲鳴が上がる。ラティアは狂気に呑まれない様、冷静に状況を観察する。
 「違う、これは凍りつく息、スノードラゴン!」
 氷柱を足蹴にして叩き折ったラティアは人混みの中を掻き分けて防波堤へと向かう。ユーナもはぐれないよう後を追う。
 「ラティア、どこに行くつもり!」
 「決まってんでしょ!」
 ラティアの視線の先、アリアハン港の防波堤、港を守るように囲んでいるそこには誰も居ない。
 まさか、とユーナは前を行くラティアの背中を見遣る。
 二人は人混みを抜ける。
 「どうするつもりラティア・・・二人で、二人だけでアレに立ち向かう気!? 駄目だ、殺されてしまう! 逃げなきゃ、早くどこか安全なところに逃げなきゃ!」
 
 「そんなのどこにも無いわァ!」

 ラティアが憤怒の表情でユーナを睨む。ユーナはすくみあがり、ラティアはユーナを指差す。
 「逃げる? 何処に! アレがどこに向かっているか知っていて言ってんでしょうねぇ! アリアハン、あいつらの目的はアリアハン王朝。今度はイシスのようにはいかない、孤立した大陸のアリアハンでは逃げる場所など何処にも無い! ここで戦わなきゃ皆殺し! 私達の生まれ育った国は一日も待たずして滅びる! 何もかも奪われて殺されて! それでもアンタは何もせずに犬死にするの? たとえ無謀だと知ってなお立ち向かわなきゃならない時なんて、何度もある! いいわ、アンタはそこで見てなさい、この大魔法使いたる私の闘いを!」
 「ラティア・・・」
 一際大きい火球がユーナに迫る。ラティアもユーナも気がついたときには遅かった。
 ユーナは炎の塊に焼き尽くされて、消し炭になる、筈だった。
 炎は消えて、ユーナの目の前に人影が現れる。

 「やれやれ、俺の弟子がこんなんでは申し分けたたねぇなぁ」

 「師匠!」「賢者アルベルト!」
 竜の鱗で編まれ、魔力を込められたドラゴンローブを羽織り、ナジミの塔の老賢者アルベルトその人が口の端を上げて笑む。
 賢者アルベルトはユーナの肩に手を置く。
 「ユーナ、今回お前は見学だ。最後の、さらに最後の授業だ」
 「賢者自らお出ましとは思っても見なかったわ、居たの?」
 「アホか、これでもアリアハンの守護だぜ、なめんなよ。お前こそ腕ェ上がってんだろうなぁ」
 失笑し、ラティアは杖を構える。アルベルトは袖から腕を抜き出し、骨を鳴らす。
 「ついて来いよ、大魔法使い」
 「言われなくっても」
 賢者と魔法使いは防波堤へと走る。空から襲い来る巨大な暗雲を防がんと、此処にいる全ての者の剣となる。
 ユーナはただそれを見守ることしかできなかった。己の無力に、浅はかな覚悟に、足りぬ勇気に打ちひしがれていた。
 何一つ思い浮かばない。今のユーナには、あの大軍に対抗する術など持っていなかった。
 それでも、理解できることはあった。
 火炎が舞い、氷が吹き荒れ、人々の悲鳴と怒号だけがこだまするアリアハン港において、ユーナは誰にも聞かれることなく呟いた。

 「これが・・・闘い、か」
 
 
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