3
 

 空を覆う巨大な黒雲から炎が、氷塊が降り注ぐ。
 アリアハンの浅瀬に、沿岸の港に、無差別に破壊せんと豪雨となって降り注ぐ。
 その時、港に集まっていた冒険者や貿易商達は空を仰ぎ、死を覚悟した。逃げる隙間など、何処にもないことを悟り、絶望する。
 どこか遠くで誰かが、何かを叫ぶ声が聞こえた。猛々しく、絶望など微塵も感じさせない雄叫び。
 刹那、巨人がかしわ手を打ったかのように大気が弾け、破壊の雨が霧散する。
 人々は目を見張った。何が起きたのか理解できぬまま呆然としていると、誰かが声を上げ防波堤の方を見ろ、と言った。
 彼らは見た、人影が二つ、黒雲を前にして立ちはだかっているのを。
 望遠鏡を持ち出した者が、魔法使いらしき老人と女が居る、と周囲に伝えた。そして、その二人が何者かを確かめんと再び筒の中を覗く。
 
 防波堤の上、魔法使いラティアと老賢者アルベルトは風に吹かれている。
 火炎と氷弾の雨が消滅した後、ラティアは視線を魔物の群れに定めたまま口を開く。
 「なに今の? マホカンタじゃないでしょう」
 「フバーハだよ、密度を薄くして延ばしただけのな」
 魔法使いは訝しげな表情で、杖を掲げながら問う。
 「そんな紙っぺらいモノで防げるわけないじゃない、種を明かしなさいよ」
 「おいそれと公表していい物じゃねぇんだけど、まぁ、お前に扱えるとは到底思わねぇからいいが」
 上空から咆哮が轟く。二人が注意を向けると、そこには真紅の鱗を纏った飛竜が一体、群れの先陣を切って飛び出してきていた。
 「サラマンダー、あいつが頭か」「一体だけとは限らないかも」「構わねぇよ」
 ずい、とアルベルトが身を乗り出し、飛来する竜と対峙する。
 「約束だ、さて種明かしといこうか」
 サラマンダーの喉元が更に赤く発光し、火炎の渦がアルベルトに向かって吐き出される。
 アルベルトは動かない。
 薄ら笑いを浮かべながら、徒手空拳にて右手の平を炎に翳す。
 「ちょ、爺さん、危な」
 アルベルトは燃え盛る火炎に包まれる。鉄さえ溶かす火竜の炎にその身を焼かれ、後には消し炭しか残らない、とラティアは危惧する。
 「阿呆、死ぬかよ、この程度で」
 炎が晴れた。アルベルトは先程の体制のまま、炎に焼かれた様子も無く佇んでいる。
 その右手に、渦巻く炎を携えて。
 サラマンダーは自身の炎が効いてないと判断するや否や、その岩をも噛み砕く顎にて老賢者を葬らんと急降下してきた。
 アルベルトの腕の中で炎が蠢く、形を変えていく、固定されていく。それはまるで剣、炎によって形作られた巨大な炎剣。
 至近距離、火竜が口を開く、賢者が呪文を唱える。
 「メラゾーマ」
 骨を割り、肉を切り裂く音が響いた。
 真紅の大剣によって体を貫かれたサラマンダーは巨躯を痙攣させながら、アリアハンの海に水飛沫を上げて沈む。
 ラティアは息を呑む。
 「魔力の生成反応が無い? まさか爺さんアンタ、アレからメラゾーマを」
 「便利だろ? フバーハはこれの有効範囲を広げる為の手段に過ぎねぇよ、感知する手をデカくするんだ。今みたに反撃せずとも、さっきみたいに消しちまう事もできる」
 賢者はにやっと笑い、右肩を回す。ラティアは信じられないといった顔付きで自分の両手を眺める。
 「あァ、止めとけ止めとけ、お前は性格的に合わねぇよ。細かい魔法操作と魔力の性質を感覚的に捉えることができねぇと無理だから」
 「悪かったわね、大雑把な女で」ラティアは口を尖らせた。
 「いいじゃねぇか大雑把、ぶっ放すのも極めれば重畳。ちょうど、アレにはお誂え向きだろ」
 アルベルトの指し示す方向では、実力者であったサラマンダーを打ち倒された飛竜達が驚き戸惑っている。その様子を眺め、ラティアは先程の火竜が指揮官であったことを理解する。
 「それじゃあ、今度は私の番ね」
 飛竜達が騒ぎ出す。新たな指揮系統を作るため魔物の隊列が組み変わり、戦闘体制が整えられる。
 個々での先頭は不利と考えたのか、飛竜達は一斉攻撃に出た。
 長い体躯をしならせ、強靭な筋肉と頑丈な鱗を携え、接触するだけでも致命傷になりかねない速度で黒雲がアリアハン港へ降下してくる。
 魔法使いラティアはそれを許さなかった。
 杖に集積される魔力。酒場での挑発など比にならない程に大気は揺らぎ、魔法が顕現されていく。
 ラティアの言霊と共に開放される力。
 「イオナズン!」
 炎熱と共に衝撃が空を割る。
 耳を塞ぎ忘れた人々は、轟音により感覚を揺さぶられ腰を抜かす。聴覚器官を麻痺させられた者達は情報が伝達できずに混乱していた。
 爆発の衝撃で四肢を飛散させられた飛竜の骸が海に落ちる、だが、爆炎をかいくぐり後続の飛竜達は構うことなく特攻してくる。
 ラティアとアルベルト目掛けて、この二人を殺せば邪魔立てする者は誰一人としていないことを確信して。
 賢者アルベルトが海へ向かい飛ぶ。腕を海面に浸し、魔力を開放する。
 「マヒャド」
 ぬうっ、と海面から氷の槍が突き出される。次から次へと、それは際限なく生成されていく。
 「貫けよ」
 合図と共に氷槍が空に昇る。地上から襲い掛かる弾雨は飛竜達の身体に突き刺さり、或いは貫き、アリアハンの湾口を血の色に染め上げた。
 ラティアはそれを見て口を引き垂る。
 「ちょっと、こっちにまで血が飛び散っているんだけど」
 「血も滴るいい女ってか」「五月蝿い」
 飛竜の咆哮。群れの三分の一程を失った飛竜達は荒れ狂い、当たり構わず火炎や氷塊を吐き散らす。中には怒りに任せて同胞を食い千切る者までいる。
 地上に降下することさえ許されない、という事実が飛竜達のプライドを傷つけているのだった。
 その隙を縫って、アルベルトが構える。
 「大魔法使い、提案がある。俺に向かってベギラゴンを撃て」
 「はぁ?」「なぁに、構いやしない。遠慮はいらねぇから全力で叩き込め、間違ってもお前の魔力が俺よりデカイなんて有り得ねぇから」
 ラティアはこめかみに青筋を浮かべる。そして、遠慮という言葉が欠片も感じられないほど自身の杖に魔力を込める。
 「後悔しないでよ、老いぼれジジイ」
 「やっぱ加減しろよお前、ちょっと不安になってきた」
 アルベルトが苦笑いを浮かべると、ラティアは構わず杖を老賢者に向ける。
 「いいから心しなさい」
 「・・・応」
 最上位閃熱魔法ベギラゴン。私怨の混ざったそれをアルベルトは受け止めるが、魔力量の多さに処理が遅れる。
 賢者アルベルトは畏怖する。
 この若さで、世界を守護する十賢者の一角をたじろがせる程の魔力を持つ、魔法使いラティアに。
 だが、無理なことではない、と老賢者は気合を入れる。
 「ふッ!」
 アルベルトはベギラゴンをその身に纏い、また、自分自身で魔法を生成する。
 「ベギラゴン」
 両の手の平を向かい合わせるようにしてベギラゴンを唱えたアルベルトは、魔力の塊を空高く舞う飛竜の群れ目掛けて掲げる。
 一息、精神統一、賢者は目を見開き歯を食いしばる。
 「突き抜けろ」
 放射される光の束。
 収縮された閃熱が線となり、上空へ伸びていく。圧縮されたエネルギー体はスカイドラゴン・スノードラゴンの身体を焼き貫き、再び彼らへ向かって方向転換する。光速で追尾してくる熱線の束に、回避行動など採る暇すら与えられない飛竜達は次々に堕とされていく。
 「・・・凄い」
 ラティアがその光景に見蕩れ感嘆の声を上げる。
 山吹色の幾線もの光の帯は、軌跡を描きながら天空を切り裂き、敵を薙ぎ払う。
 「お前の魔力もあるおかげで威力高ぇな、使う機会なんざ滅多にねぇから不安だったんだが、杞憂で終わって何より」
 「まだ少し残っているんだけど?」
 「そりゃお前らに任すよ、ジジイは疲れちまったよ」
 アルベルトはそう言って地面に腰を下ろした。
 
 爆発音が響く。
 
 ラティアが反射的に上空を見上げると、生き残っていた飛竜が小規模な爆炎に包まれていた。
 最下位爆発魔法イオ。
 それは、ラティア達の後方から発せられたものだった。
 向かい側の岸にて、ユーナが手の平を宙に翳している。周りの者も何事かとユーナを凝視する。
 「イオ!」
 身じろぎしていた飛竜は頭部に衝撃を受け気を失い、爆炎とともに海面へ激突し絶命する。
 ユーナの周囲から驚きの声が上がり、ユーナは自分の腕を見つめ呟く。
 「・・・勝てないわけじゃない」
 顔を上げ、ユーナは叫ぶ。
 「勝てないわけじゃない!」
 最下位閃熱魔法ギラ。賢者アルベルトが魅せたものよりは断然劣るものの、圧縮された細い熱線は空を駆け、飛竜の眼球を焼く。
 ユーナは走る。ラティア達の元に向かって、駆けながら呪文を紡ぎ魔法を生成する。
 片目を喪失したスノードラゴンは猛り狂い、ユーナに向かって降下してきた。
 ユーナは恐怖で痙攣する腹部を押さえ、それを打ち払うかのように雄叫びを上げる。
 「イオ!」
 飛んでくるスノードラゴンの頸部に爆発が起こり、飛竜は仰け反る。
 「イオ、イオ、イオ、イオイオイオ!」
 脳天に、頚椎に、口内に、前後左右あらゆるところから爆発が起こり、スノードラゴンは意識を刈り取られ、防波堤へと墜落する。
 ユーナは無我夢中でドラゴンの元に向かって走る。落下の衝撃で脊髄を損傷したのか、激痛で意識を取り戻したスノードラゴンは地面を這いながらユーナへ向かって氷の息を吐きかける。
 「ギラァ!」
 範囲に閃熱を浴びせる本来の形のギラはユーナの血路を開く。だが、相殺し切れなかった氷塊がユーナを襲う。
 方々に突き刺さる氷の破片の痛みに顔をしかめつつも、ユーナはスノードラゴンに向かって飛びかかった。
 放置していても死ぬのは明らかな飛竜は、最後の力を振り絞って、その顎を開く。
 空中にてユーナは呪文を紡ぐ、生成された魔法は右手に集まり形を成す。
 「メラァァァ!」
 竜の牙がユーナの脇腹をかすめ、そこから僅かに血が噴出す。
 身体を捻り一撃を避けたユーナは、その手に持つ炎の小剣にて喪失したスノードラゴンの片目部分へと腕を伸ばし突き入れた。
 飛竜の脳へと突き刺さる炎は、断末魔の叫びと共に燃え上がる。肉の焼ける音がすると、スノードラゴンの身体は地面へ沈み、絶命した。
 地面に降り立ったユーナは俯いたまま、呼吸は荒く、意識も朦朧としていた。
 ユーナはラティアを見遣る。
 ラティアはよくやったと言わんばかりの表情で、ユーナに拳を向けた。ユーナは地面に崩れ、飛竜の死骸を背もたれにして座り、ラティアへ拳を向け返す。
 沸きあがる歓声。
 港内では、ユーナが飛竜種に下級魔法だけで勝利したことに対する賞賛で溢れていた。
 そして、ユーナの姿を見て奮起した魔法使いや僧侶達によって、飛竜達へ一斉放火が始まる。
 数で圧倒していたドラゴン達はラティアとアルベルトによって残り僅かになり、勝機の見えた冒険者達は各々の持てる術で残党を蹴散らしていく。
 圧倒的有利に立っていたと慢心していた飛竜達は逃げ惑うが、ことごとく打ち落とされ、最後にはラティアの放ったメラゾーマによってアリアハン海の藻屑と消えた。
 


 強烈な痛みと、微かな揺れの中ユーナは目を覚ました。
 起き上がろうとして節々の軋みに襲われ、ベッドの中に倒れこんだユーナは周囲の状況を確認する。
 板張りの良く磨かれた床に高級そうなランプの吊るされた天井、ベッドはスプリングが効いておりシーツも洗いたての匂いがする。脚を固定されたテーブルも凝った意匠が施されおり、若干広めの部屋はユーナにとって落ち着かないものだった。
 わずかに香る潮の匂い。不規則に傾く部屋の違和感からユーナは気がつく。
 「・・・船?」
 アリアハン港から出航して一日程過ぎた海上が、現在自分のいる所だとユーナは知らない。
 とりあえず、推測を確信に変えるためにユーナは自分自身にホイミをかける。骨身が無理矢理矯正され修復していく違和感に気分を悪くしながらも、立ち上がり、ユーナはドアに向かって歩く。
 ユーナがノブに手をかけようとした途端、開かれるドア。内開き、木材が顔面を押しつぶす衝撃。
 「あごぉ」
 「ん? 何やってんのよユノ、アンタ絶対安静だって医者に言われてるんだから寝てなさいよ」
 鼻を押さえてテーブルに突っ伏すユーナを気遣う様子も無く、ラティアは脚の固定された椅子に腰掛ける。
 「ラティア・・・覚えてろよ」
 「なんのことかしら」籠の上に盛られた果物に齧り付くラティアへ、ユーナは恨みを込めて唸る。
 ユーナは鼻にホイミをかけながら、ラティアの向かい側に座る。
 「それで、ここどこさ」
 「船ってのは気付いてるだろうから、端折るとして、アリアハンから出航して一日くらいの海の上」
 ユーナは想像する。飛竜を倒して気を失った後、自分はそのまま担ぎこまれて船室のベッドの上に運ばれ、治療を受けて現在に至ったのだと。
 大体の事情を察したユーナは、思案の後、ラティアに顔を向ける。
 「でも、なんで、こんな豪華な部屋に?」
 「船長含めその他大勢の御厚意よ。私はアリアハンを救った英雄だから、その同伴者のアンタも類に漏れず、ってかユノは一人でスノードラゴン倒しちゃったからね、私が同伴させろって言う前に満場一致でココに放り込まれてたの」
 「・・・あ、そうか」
 ラティアに言われて改めて実感する、飛竜を倒した時の事を。
 肉薄する巨躯、向けられる殺意、冷気と氷弾の中に飛び込み、敵の身体を貫く感触、達成感と共に訪れる脱力感。
 それらの記憶を反芻しながら、ユーナは自分の両の手を眺める。
 「本当に、倒したんだ、僕」
 「しかもドラゴンを」
 ラティアがニヤニヤしながら頬杖をついてユーナを眺める。ユーナは背凭れに体を預けて天井を仰ぐ。
 「それは置いといて」ラティアがテーブルに身を乗り出す。
 「あの反撃魔法の事を詳しく教えなさい」
 「・・・かうんたー、まじっく?」
 「アルベルトの爺さんが使ってたアレよ、魔力生成無しで自然物とか相手の魔法を魔力に変えるとかいう反則魔法!」
 「ああ、アレそういう名前なんだ・・・自然物からのは反撃と意味違う気がするけど」
 ユーナはアルベルトの顔を思い出し、あの老賢者なら細かいことまで気にしている訳が無い、と苦笑する。
 「私もツッコんだけど、『そういうのはノリ』とか抜かしてた」「流石師匠、期待を裏切らない」
 それで、とラティアは話を戻す。
 「ちょっとやって見せてくれない? あわよくば私の新たな能力として・・・ふふふ」
 ユーナはラティアを見遣り、口の端を上げて僅かに表情を曇らせる。
 「言いたい事があるのならハッキリ言え」
 万力のように顔を鷲掴みにされる。ユーナは慌ててタップをとる。
 「で・・・できないって言ったわけじゃないけど、こればっかりは感覚的なモノで」
 「やってみなきゃ判らないじゃないの」ラティアは腕を組んで踏ん反り返る。
 「まぁ、そこまで言うなら。・・・ラティア、ちょっとメラ出してみて」
 「メラ」子供大の火球がラティアの指先に掲げられる。
 ユーナは命の危険を感じた。
 「ちょっと! あと幾分か手加減してくれよ! 流石にそれは無理、無理だから!」
 「えー」
 「えー、じゃない。もうちょっと、そう、それくらい」
 火球の大きさが次第に小さくなり、こぶし大に収まる。ユーナは安堵した。
 「それでそれをこっちに投げてみて」「ほい」
 空中に尾を曳いて火の玉が弧を描く。ユーナはそれを受け止めると、自らの手の平に纏わせるように形を変えた。
 「そう、それよ! それ! どうやるのよ?」
 「どう・・・って」火球を両手で打ち鳴らし霧散させ、ユーナは眉根を寄せて考え込む。
 「こう、メラがあるだろ?」
 ユーナは自分で生み出した火球を目の前で移動させ、もう片方の手でそれを受け止める。
 「で、こうモニョモニョ・・・ってやると」
 ユーナの手にメラが纏わりついて、主人の命令を受けるのを待つように待機する。
 「ほら」「ほらじゃない!」
 ラティアは口をへの字に曲げて、心底残念そうな顔をつくる。
 「なんだ『モニョモニョ』って! 説明になってないわよ! アンタ、言語から勉強し直す?」
 「ぐにょぐにょ?」「そういう問題じゃない」
 両頬を鷲掴みにされる。ユーナはタップをとる。
 「だって、説明の仕様がないんだよ。感覚的って言ったのは冗談じゃないから」
 「はぁ・・・期待して損した」
 ラティアは力無くテーブルに突っ伏し、自棄になって果物を貪りだす。
 「でも、魔法に慣れているラティアだったら言葉で説明しなくてもできると思うんだけど」
 「私は放出専門、魔法の精密操作なんてしたこともないわよ。まぁ、力の加減はできるけど」
 専門などあるのか、とユーナは思ったが口にするのを止めた。
 魔法技術を要しないで、世界の魔法使いの上に立つ者が、現に目の前にいるのだ。
 あの飛竜の群れに立ち向かえるほどの大魔法使いが、新参冒険者たるユーナの仲間であることに、今更ユーナは驚く。
 「なによ」ラティアがユーナの視線に応える。
 「いや、ラティアって結構凄いんだなぁ、と」
 「今頃気付いたか、ふふん、見る目の無いヤツね」「いや、良く知っている分余計にそう思うよ」
 「メラ」火球がユーナ目掛けて飛んでくる。
 「なにするんだよ!」「なんか、言葉に悪意を感じたのよ。イラッとして」
 その感覚をなぜ魔法に活かせない、とユーナは内心毒づき、手の平でメラをかき消す。
 「あのさ、反撃魔法のことなんだけど、もしかして、それ対象の魔力が高いと採り込みきれなかったり?」
 「ん? うん、炎ならもう少し強くても大丈夫だと思う、僕は属性が炎と相性良いから。でも、他の属性は下位魔法までしか無理。高位魔法を使う魔物に出会ったら、結構危険かもしれない。下位魔法だってラティアみたいな高出力だと捌ききれないし、採り込みきれないのに前に出ても仕様がないから、今のところはおいそれと使えないよ」
 「ふむ、魔力消費ないから、少数グループの雑魚になら適任ね」
 
 部屋にノックの音が響く。

 焦りを感じさせる不器用な叩き方に、ラティアは何事か起きたのかと身構える。
 入室を許可して、扉の向こうから現れたのは初老の男性。その服装と雰囲気からユーナは彼がこの船の持ち主ではないかと推測する。
 「あら、船長さん、どうしたの」
 「おお、魔法使いさん、ここに居られましたか。ちと、魔物に襲われていましての、手を貸してもらえませんかのう。私らで敵わないわけじゃないのですが、操船に人員が割けなく船の進行状況の障害になりそうでして」
 それは困る、とラティアは立ち上がりマントを翻す。
 「さっそく経験を積むいい機会よユーナ、気合入れなさい」
 ユーナが立ち上がると、扉の傍にいる船長が心配そうに声をかける。
 「お連れさんの方は、もう動いても宜しいので?」
 「あ、大丈夫です。自分で回復魔法かけておきましたから」「心配ないわよ、船長、気遣いありがとね」
 ラティアを先頭にユーナは扉をくぐり、細い船内の廊下を渡り甲板に出る。
 武器が打ち鳴らされる音。
 人々の怒号、日もまだ高い大洋の上で、戦いの火蓋は切って落とされた。



 夜の帳が落ちた。
 船上から見渡す風景は一面暗闇で、甲板に吊るされたカンテラの光だけが視界を照らす。
 ワッチの船員があくびを殺しながらマストの上で海面に注意する。
 操舵手は指針を確認しながら、退屈を紛らわすために仲間と談笑に耽る。
 闇夜の海で浮かれ騒ぐ者などいない。ただでさえ目の利かない状況で、魔物に襲われては敵わない。
 カンテラの光も、海面を照らさないよう最小限必要な箇所にだけ設置されていた。
 甲板より船内へ続く扉を開け階段を下りると、各部屋へ続く広間がある。
 広間の中央には行商人が風呂敷を広げて、世界各国の珍品や旅の必需品を売り捌いていた。
 人々は商人を囲んで品物の真贋を定めたり、値段の交渉をしたり、自分の財布を眺めて顔を顰めたりしている。
 ユーナとラティアの二人は、そのような露店の一箇所を冷やかしているところだった。
 「ラティア、これ良くない? バンダナ、少し魔力の匂いするし」
 「ん? 疾風のバンダナね、確か身体能力を強化する印が布地に織り込んでいたはず」
 「姉さん、良く知っているねぇ。ピオリムの呪文を形にして織り上げた、魔道具屋トマの渾身の一作。今なら勉強して二割引だよ」
 万屋の主人は売れそうな気配を嗅ぎ取ったのか、会話に入ってくる。
 「あ、これトマさんのなんだ・・・道理で」ユーナは考え込むようにバンダナを手に取り、矯めつ眇めつ値踏みをしている。
 そして、裏地に魔法の記号とは別の文字が書かれているのに気がつき、ラティアに見せる。
 「ああ、それね」
 ラティアは一瞥した後、失笑して別の品物に目を移す。
 「それ、シェンが使ってたヤツなのよ。旅に出てから少し経ったくらいかしら、丁度ロマリアに行く為にトマ爺さんの力が必要になってね、そんとき御厚意に甘えて家の中から色々と拝借した物のひとつ。ちなみにそれはシェンの名前よ、持ち物に名前書くのが癖だとかなんとかで書いたは良いものの、その所為で魔法の効果を殆ど台無しにしてしまったのよ。若干魔力は残ってるようだけど無いに等しいわよー」
 「も、もったいない・・・」
 ユーナは兄弟子にあたるレーベの村の魔道具士、トマが懸命に布地を織っている所を想像して悲しい気持ちになった。
 万屋の主人は話を聞いて顔を青くして、言葉も出ないようだった。
 無理もない、とユーナは表情を渋くする。魔道具と当て込んで入荷した目玉商品が、魔力効果のない欠陥品だと目の前で告知されたのだ。勉強するどころの話ではない。
 「しかし、これがここにあるという事は・・・ラティア」
 「さーて、なんのことかしらねー」
 ラティアは何気ない様子を装い、先程も眺めていた品を再び手に取り眺める。
 「おじさん、これ幾らですか? 先程の値段とはいかないまでも買い取らせていただきます」
 「い、いいのかい!?」
 「ちょっと、ユーナ!?」ラティアが講義の声を上げようとすると、ユーナが冷たい視線で睨みつける。
 「そもそもの原因はラティア達だろ、てか魔道具に名前書くとかなんだよ! 大方、他の魔道具もろくに使わないまま台無しにしてしまったとかいうオチだろ」
 「失礼ね! そんな馬鹿な事するのはシェンとセラとアルスぐらいのものよ!」
 「やらかさないほうが珍しいんじゃないの!? それ!」
 講義するラティアを無視して、ユーナは財布からゴールドを幾らか取り出し主人に手渡し、疾風のバンダナを受け取る。
 万屋の主人は何度も頭を下げて感謝し、ラティアは頬を膨らませてユーナから財布を奪い取る。
 「ったく、買い取ったからには大事にしなさいよ」
 「とりあえず、魔術記号の配列でも組み替えておこうっと」「ちょっと、そんなことできるの!?」
 ユーナとラティアが騒いでいる所に影が射す。
 「おっちゃん、盛況のようだけど、なんかいいものでもあるの?」
 二人が顔を上げると、小柄だが健康そうな肌色の少年が、広げられた風呂敷を覗き込んでいる。
 少年と二人の視線が合う。
 「あ、魔法使いの姉ちゃん」「酒場にいたエジンベアの子じゃないの」
 ユーナは酒場での一件を思い出して気まずくなり、少年から視線を逸らす。そして、またいざこざが始まるのかと気を揉み始める。
 「見たぜ、姉ちゃん! 港での大立ち回り、すっげーカッコ良かった!」
 「へ?」ユーナは少年の態度に唖然とする。
 それを聞いたラティアは立ち上がって胸を張る。
 「でしょー? まぁ、私は大魔法使いだからね、あのくらいは当然というか、呼吸するのと変わらないというか」
 「魔法って、頑張ればあんなこともできるんだな!」
 少年は目を輝かせてラティアの話に聞き入っている。本当に尊敬の念を示しているのだ、とユーナは面を食らう。
 「アンタ見所あるわ! 見たところ魔力の反応があるようだし、将来有望な術士ね! どっかの誰かさんとはエラい違いだわ」
 ラティアはユーナに視線を送る。ユーナは睨み返す。
 「なんだよ」「別にぃー」
 少年はラティアとユーナの遣り取りを眺めて、そこでユーナがラティアの仲間であることに気がついた様子だった。
 「なぁ、兄ちゃんトシいくつ?」少年がユーナに訊ねると、ユーナは言葉の真意を確かめるために、返答に暫く間を置いた。
 「えっと、十六だけど」「え、マジ? 俺とタメじゃん! タッパあるから年上に見えたぜ」
 少年は喜びを隠しきれない様子で、ユーナの手を取って正面に向かい合う。
 「俺の名前、シドっていうんだ。兄ちゃんも魔法使いかなんかだろ、よろしくな!」
 「あ、うん・・・ユーナ。僕はユーナ」
 「おう、同い年の冒険者として一緒に頑張ろうぜ! いやー、俺んとこのパーティー年上ばっかでさー、こういう風に話せる相手いないんだよねー」
 ユーナは少年、シドの気迫に圧されてたじろぎ、上手く言葉を返せないでいる。初対面なのにここまで人と接することができることに、ユーナは感心するばかりだ。
 ユーナが助け舟を出してもらおうとラティアに目を遣るが、ラティアは意味ありげに薄笑いを浮かべるだけで取り合おうともしない。
 「そうなんだ・・・それで、キミのパーティーはどこにいるの?」
 「おいおい、『キミ』とかやめてくれよ。シドでいいよ、呼び捨てにしてくれて構わねぇからさ。んで、俺のパーティーは多分その辺で必要なモン買い揃えてんじゃねぇかな。あ、おーい! 兄貴こっちこっち!」
 「シ、シド」口篭りながらユーナはシドの名前を呼ぶが、当の本人が仲間を呼ぶ声にかき消された。
 傍らでラティアが噴出したのを、ユーナは顔を赤くして睨みつける。
 「どうした、何か珍しいものでもあったか」
 数名の仲間を引き連れて長髪の男が現れた。シドは男の下に駆け寄り、その袖を引いて歩みを急かす。
 シドに連れられて来た男とラティアの目が合うと、男はバツが悪そうに目を逸らした。
 「兄貴〜」シドが諌めるように男を下から覗き込む。
 男は顔を顰めて、視線を方々に向け、何かを決心したようにラティアへと向き直った。
 「・・・なんだ、その・・・この間の事は悪かった・・・」
 ラティアは表情を変えずに男の言葉を聴く。男は言葉を足さなければいけないような気がして、続いて口を開く。
 「港での一件を見せ付けられるまでは、本当に勇者なんて信じていなかった。長年倒されることのなかった魔王を、冒険者になって二年足らずの奴らがあっさり倒してしまってから、俺らのやっていた事はなんだったのかと思って、馬鹿らしくなって・・・そして、そいつらがやられたと聞いて、苛立ちをぶつける相手が居なくて、ムシャクシャしているところにお前が現れて、それでつい・・・」
 「ふーん」
 ラティアは顎に手を添えて、男を真っ直ぐに見据える。
 「ま、その気持ちも解らなくはないけどね。謝ってくれたその気持ちだけで十分よ」
 あまり気にしていない、とラティアは微笑んで男を許す。男は責められると予想していたのか、拍子抜けた表情で突っ立っている。
 「それだけ?」男がラティアに訊ねると、ラティアは口の端を吊り上げて微笑む。
 「なに、詰って欲しいの?」
 「ば、馬鹿言え!」男は取り繕うが、シドや周りの仲間達に笑われる。
 とりあえず男は弟分に当たる小太りの男を小突くことで憂さを晴らすことにした。
 「そういや、アンタ名前は? こっちだけ知られてるってのも気分良くないものよ」
 「ジョーだ、僧侶を辞めて戦士をやっている。こっちの唐変木はクルブ」
 長髪の男ジョーに首を抱え込まれている男が、愛想笑いを浮かべて小さく頭を下げる。
 その他の仲間も名乗り、クルブはジョーの幼馴染でパーティーの経理を管理している商人ということを聞かされる。
 「あら、アンタ上級冒険者だったのね。セラとは正反対の転職だけど」
 「そうそう、兄貴ってつえーんだぜ! 多勢向きじゃねぇけど、個々撃破ならトロルも楽に倒しちまうしさ」
 ユーナは素直に感心する。書物の中でしか知ることのなかった情報だが、亜人種のトロルはその巨体から繰り出される強烈な打撃と、並外れた体力と少数とはいえ群れで現れる事で旅人から嫌われている魔物である。
 ユーナはジョーの事を熱く語るシドの魔力の流れを感じる。魔法使いのそれとは違う色、僧侶の持つ清廉な魔力。
 シドのジョーを見る瞳にユーナは気がつく。
 (そうか、シドはジョーのようになりたいんだ、だから僧侶を)
 「そういやユーナ、お前も凄いよな! なんたってスカイドラゴンとスノードラゴンをひとりで倒しちまうんだからさ!」
 話題の先がユーナに向き、ユーナは身を竦ませる。知っている不愉快な視線と、初めて言葉を交わす知らない視線がユーナを捉える。
 「い、いや、運が良かっただけだよ。一匹目だって不意打ちで倒したんだし」
 ユーナは苦笑して、手を振り否定する。
 シドは謙遜するな、とユーナの肩を叩き、二匹目のスノードラゴンだけでも立派なものだと褒める。
 「実は俺も気になっていた。あの魔法技術について」
 ユーナより頭一つ大きいジョーが、シド越しにユーナに詰め寄る。後ずさりしたユーナが後方の安全を確認すると、万屋の主人が迷惑そうな表情で遣り取りを眺めていた。
 「そいつ、賢者アルベルトの二番弟子よー」ラティアが会話を繋ぐ。
 「マジ!?」「あの十賢者の弟子だと」「すげぇ・・・」
 「あ、えーと」ジョーだけではなくシドや他の仲間にも詰め寄られてユーナはたじたじになる。万屋の主人も話を聞いて口を開いたまま唖然としていた。
 シドが一番先頭に歩み、ユーナの両手を握り締める。
 「すげぇじゃん! ユーナお前って、やっぱ強いんだろ。謙遜にも程があるぜ」
 「確か、賢者アルベルトは弟子を取らない主義で、例外として魔道具士トマだけが門下だったはずだが」「とにかく半端ねぇんだよな、アニキ!」
 ユーナは思い切り、肺に酸素を取り込む。
 「あの!」
 矢継ぎ早に質問を浴びせていたジョー一行がピタリと静まる。意を決してユーナは言葉を続ける。
 「確かに、僕は師匠の―――賢者アルベルトの弟子だけど、実戦なんて初めてで、冒険者になったのもついこの間だし、魔法だって初級魔法までしか使えなくて、そんな、凄いとか言われるようなヤツじゃないから・・・」
 その言葉を聞いて、ジョーを含めその仲間が若干の失望を匂わせて口篭る。
 だが、ユーナの両手には再び強い力が込められ、それはシドによって目の前に持ち上げられる。
 「ちげぇよ! 俺は! そんなこと抜きに、あの状況でひとり飛び出して行ったユーナのこと尊敬してんの! 普通できねぇだろ、大量のドラゴンに押し迫られた状況で、自分がチカラねぇとわかっていながら前に出るのなんてさ。ユーナお前どれだけ凄いことしたのかわかってねぇだろ? 俺らは、その凄いことしたヤツが大賢者の弟子だってわかって、さらに驚いているだけだから、ただそんだけなんだぜ」
 シドは歯を見せて笑う。ユーナが無意識に設けた心の壁を乗り越えて、人と交わることを棄て魔法に明け暮れていた両手を引っ張り上げる。
 「シド・・・」「お、やっと名前呼んでくれたな!」「いや・・・さっき呼んだけど」
 「ぶふー!」成り行きを傍観していたラティアが堪えきれずに噴出し、ひゃっひゃと笑い声を上げる。
 「なんだよ姉ちゃん! 俺たちは真面目に話してんのに」
 シドは馬鹿にされたと思い抗議の声を上げると、ラティアは違う違う、と目尻に涙を浮かべて否定する。
 「青春しているなーと思ってね、私はそれを真面目に受け取ることができなかったのよ」
 「シド、キミが尊敬の目で見てた大魔法使い様は実際こんなのだからね、あまり陶酔しないほうがいい、毒されないように気をつけなよ」
 ユーナはシドをラティアから遠ざけるように庇う。
 「言ってなさい」ラティアは、にやにやと薄笑いを浮かべたまま近くの椅子に腰掛ける。
 「なぁユーナ、大賢者のトコにいた時のこと話してくれよ! ココじゃなんだから俺たちの部屋にこいよ」
 シドがユーナの手を引いて急かすと、ジョー一行の内数人も興味津々といった様子で集まってきた。
 ユーナは戸惑いを浮かべながらも満更でもなく、視線をラティアに向ける。
 「良いじゃない、行ってきなさいよ」
 「よっしゃ、決まり! 皆行こうぜ!」ラティアの許可が下りるなり、シドはユーナと仲間を連れて船室エリアへと姿を消した。
 残されたのは、ラティアとジョー達と『賢者の弟子御用達の店』という看板を拵えている万屋の主人。
 広間は未だ冒険者達と商人達の熱気冷めやらなく、騒然と活気に溢れている。
 「良かったのか、連れて行っても」
 ジョーがラティアに訊ねると、ラティアはユーナ達が去った方向を見つめたまま応える。
 「好い機会よ、あの子不器用だから、シドみたいな子がいてくれて助かったくらいよ。この先長いんだから、いつまでも人見知りされても困るのよね」
 「そうか・・・」
 ジョーが相槌を打つと、二人の合間に沈黙が降りる。
 ラティアが横目でジョーを見遣ると、なにやら落ち着かない様子で視線を宙に泳がせている。
 ジョーがラティアの視線に気がつく。
 「行ってきたら? 気になるんでしょ、ユノの話」
 「・・・っ、まぁ、少し・・・な」「素直に行きたいって言えばいいのにアニキ、いてぇ!」
 後頭部を叩かれたクルブを連れてジョー達も去っていった。
 一人残されたラティアは喧騒の中、天井を仰ぎ、ひとつ溜め息をつく。
 そして、隣で看板を製作し終えて笑顔の万屋の主人の方へ顔を向ける。
 「おじさん、その豪傑の腕輪、右ッ側の宝玉ガラス玉に掏りかえられているわよー。戦闘中壊れたんでガラスで代用してあんのよ」
 主人の目が見開かれ、その顔が悲哀の色に染まった。
 


 アリアハンからランシールまでの航路は既存の船舶で移動して、平均して四日はかかる。
 その間が平穏無事という訳もなく、日中や、運の悪い時には夜間に魔物が襲ってきたが、ユーナ達は進行に支障がないよう素早く蹴散らしていった。
 特に親交を深めたジョー一行との連携により、当初の運行予定より幾分も早く船はランシールへ向かう。
 敵の出現しない日中は、ユーナはラティアと共に通常魔法と反撃魔法の訓練をし、夜間はシド達と談笑に耽る。また、未熟な術士同士、魔法について研鑽しあった。
 シドはユーナを連れて万屋の主人の下で壊れた豪傑の腕輪を購入し、ユーナは壊れた箇所に細工をして気持ち程度の魔力を込めた。
 硬度が増すよう微量の防御魔法スカラが込められた腕輪を嬉しそうに着けるシドを見て、ユーナも自然と笑顔が零れるようになっていた。

 時刻は正午過ぎ、風は程好く吹き、櫂を必要としない程度に船足速く、船首は海面を割り進む。
 ランシール到着まであと一刻ばかりの船の甲板で、ユーナとシドは仰向けに寝転がっていた。
 船員の邪魔にならない場所を陣取り、二人は何をする訳でもなく天を仰ぐ。
 ユーナの頭には疾風のバンダナが巻かれていて、包みきれない分の黄金色の髪が風になびいている。
 マストの方から大陸が近いとの報告が響くが、二人は反応も見せずに宙を見つめていた。
 風が鳴き終わると、ユーナが沈黙を破った。
 「バハラタ」「ん?」
 一言ユーナが呟くと、シドは顔だけをユーナに向けた。
 「バハラタって、どんな所なんだろうね」
 「あー、わっかんねぇなー。話だけは聞いたことあるけど、そんだけだし、俺ら旅の扉でアリアハンに来たから東にゃ行ってねぇからなー。まぁ、これから行くから、知ってても楽しくねぇじゃん」
 ユーナは遠い異郷の地に思いを馳せる。
 ジョー率いるパーティーはランシール港を一度中継して、中央大陸南部に位置するバハラタへと向かう予定である。彼らがロマリア南部の旅の扉を抜けてアリアハン大陸に到着したのが、丁度ラティアがアリアハンへと帰還した時期であり、ゾーマの存在が公表された時にはレーベの目前で、レーベを経由してアリアハンへと向かおうとしている所だった。
 その後数日してイシス陥落の報せが届き、ジョー達は至急ポルトガに戻る為に海路を通ってバハラタへと向かい、陸路からポルトガへ向かうという。
 「しかし、あの地方の現状をいち早く知る為とはいえ、シドは遠回りすることに反対しなかったの?」
 「俺らがあっち行ってジタバタしてもしょうがねぇからなぁ、情報収集やパーティーの強化も含めて兄貴はちゃんと考えてくれてる。俺は兄貴についていくだけさ」
 「ランシール港に着いたら、すぐ出発するんだよね」
 「ああ、東ランシール港はまだ開港したばっかで開発が進んでねぇから、大型船は近づけねぇんだと。この船もあらかじめバハラタまで補給しねぇでもいいよう荷積みされてるからな、ランシール行きのヤツらは小船で岸まで送るそうだぜ。んで、俺らはボートが戻ってきたら出発する」
 「そっか」
 ユーナは空に浮かぶ雲に狙いを定めて宙を握る。閉じたままの拳の裏側から風下へと雲が素通りしていった。
 「ユーナ達はランシールで修行するんだろ。でさ、どういう風な術士になりたい? やっぱりラティア姉ちゃんみたいにすげぇ強くなりたいよな! どかーん、ってさ」
 目を閉じてユーナは低く唸り考え込む。
 「ラティアみたいな高威力の魔法を使う術士は、その潜在魔力量が多くないと無理だからねぇ。はっきり言って僕の潜在魔力量って一般人レベルなんだよ、だから幾ら修行しようにも少し強い程度の威力しか引き出せないからなぁ。・・・それに」
 「それに?」シドが聞き返すと、ユーナは少し言い辛そうに言い淀んだ。
 「僕は・・・ほら、職業が遊び人な訳だから・・・術士ギルドから有効な魔法の修行場を紹介してもらえない事に加えて、素性がばれてそれがギルドに知られると不味いから、ろくな修行にならない気がする・・・」
 「そりゃ自業自得だろ、ハハハ!」
 シドは起き上がり胡坐を掻いた姿勢でユーナの肩を叩きながら、笑い飛ばす。
 ユーナは苦笑しながら起き、バンダナの端を結び直す為に結び目を解いた。布に押し込められていた金色の髪が宙に躍り出る。
 シドは風に舞う金糸を目で追う。
 「ユーナの髪って珍しいよな、今まで旅してきた中で少しは見たことあるけど、間近で見んのは初めてだ」
 「それじゃあ、シドが見た中に僕を生んだ人がいたのかもね」
 「・・・ユーナ、アリアハン生まれじゃなかったんだな」
 シドはユーナの表情を窺うように話すが、ユーナは平然とした様子で会話を続ける。
 「うん・・・って言っても、町の名前も知らなかったし、もうほとんど覚えていないからね。その頃の記憶は無いに等しいんだ」
 疾風のバンダナを巻き直して、ユーナはシドを真っ直ぐに見据える。
 「でも、僕の中にはアリアハンでの思い出が詰まっている。アルスとラティアと母さんがいて、僕はここにいる事ができるから、それだけで十分なんだ」
 「そうか!」
 ユーナの真意を測ることを止めたシドは、いつもよりは大人しく静かに微笑んで、ユーナの肩を支えに立ち上がった。
 「ほれ、迎えが来てるぜ、ユーナ」
 シドに続いて腰を上げたユーナは、ラティアがユーナの分の荷を持って待っているのに気がつく。
 待っていたのか、とユーナが視線を送ると、ラティアは荷を投げて寄こした。
 「そろそろ行くよ、ユノ」
 船縁の向こうには浅瀬が続いていて、既に数隻のボートが岸へ向かっている。
 船はこれ以上進めないと碇を降ろし、船員によるランシール行きの乗員に対する下船誘導が行われている。
 ユーナはシドを連れてラティアの元に駆け寄る。ラティアの後方にはジョーとクルブ達が、二人を見送りに来ていた。
 「律儀なものよね。ここ数日世話してやったわ、おかげで退屈しなくて済んだ」
 「そこは『世話になった』だろ! 何処まで不遜なんだお前は!」ジョーが責め立てると、ラティアは物ともせずに失笑する。
 「あら、大魔法使い様と短期間とはいえ戦うことができたのよ、その経験をもう少し在り難く思いなさい」
 ラティアに食って掛かりそうなジョーをクルブや仲間が取り押さえる。
 「アニキ、アニキも『良い魔法の研究になった』って言ってたじゃないか、いっへぇ!」
 「お前は、いつも、余計なことを!」クルブの両頬を引き千切らんばかりに伸ばすジョーを見て、ラティアは悪戯に笑みを浮かべる。
 「まったく、兄貴は意地っ張りだなぁ」
 ユーナの傍に居たシドが肩を竦める。そして、ユーナの方へ向き直ると、ユーナが補修した豪傑の腕輪を嵌めた手を胸の前に掲げた。
 「このとおり俺らは気の利いた別れができねぇからな、湿っぽくなるのもなんだから、適当にいこうぜ!」
 「まったく、シド達らしいね」ユーナはシドの腕に自分の腕を交差させる。
 二人は顔を見合わせ笑い、互いに向かうべき方向へと踵を返す。
 「またな、ユーナ」
 「またね、シド」
 背中越しに再会を誓ったユーナは、船縁から垂れている縄梯子を伝いボートに乗船する。
 ラティアは先に降りていたのか船首に腰掛け、ユーナの乗船を待っていた。
 船員により船が漕ぎ出され、ゆっくりと船を離れていくボートの上でユーナが背後を振り返ると、船から身を乗り出して手を振っているジョー一行の姿があった。
 ユーナは気持ちを抑えられずに懸命に手を振った。
 ジョー達の姿がはっきりと見えなくなるまで振り続け、ラティアも、手は振らないまでも視線は暫く沖の船を捉えていた。

 船底の竜骨が砂を咬み、ボートが浜に着いたことを知らせる。
 波が引いた頃合を見計らいユーナとラティアは陸地に降り立ち、波が足元を濡らすのを嫌ったラティアは中位氷撃魔法ヒャダルコで海水を凍らせ、その上を歩く。
 波の及ばない場所まで避難した二人は、波止場に建てられた建造物へと向かう。
 ラティアがふと、辺りの様子を伺いだした。
 「妙ね・・・静か過ぎる」
 「田舎ってこんなものじゃないの?」ユーナは浜辺に続く自分達の足跡を一瞥して、島の中央へと続く森林を眺める。
 「馬鹿ね、仮にも世界中の冒険者達が腕試しに訪れる聖地ランシールよ、観光はアリアハン以上に発展してるわよ。んー、先に降りた連中もあっちにいると思うけど、それにしたって動物が気配を消しているなんておかしいわね」
 嫌な予感をひしひしと感じつつ、ユーナはラティアの言葉を聞き流すことはできなかった。
 アリアハン港での一件を思い起こすユーナ。歴戦の強者であるラティアの違和感は即ち、危険が迫っている可能性が高いということに他ならなかった。
 ユーナは気を張っているラティアの後に続き、二人はいつしか波止場にある二階建ての建物の前に着いた。
 真新しく立て付けの良いドアを開け、中に足を踏み入れたラティアは若干眉を顰める。
 人は居る。冒険者に、ランシールから派遣された波止場の職員らしき者達も見て取れた。
 だが、皆一様にその顔に影を落としている。
 ユーナはその感情に覚えがあった。アリアハン港にて、空を覆う飛竜の群れに相対した初級冒険者達の血の気の引いた表情。震えて噛み合わない顎、立っていることすらままならなくなる、それは。
 恐怖。
 すかさず、ラティアは近くの席に座っていた冒険者を捕まえて自分の方へ向かせる。
 「なにがあったの!」
 ラティアの顔を認めるなり、無気力だった瞳に輝きを取り戻していく男は急に腰を上げた。
 「あんた・・・アリアハン港での魔法使いじゃねぇか! あの強ぇ魔法使いさんじゃねぇか!」
 男の言葉に、アリアハンから来たであろう冒険者達がどよめき、喜色の声が上がってくる。
 ラティアは男の肩を掴んで落ち着かせる。
 「いいから、現状を説明しなさい!」
 ラティアに気圧されて、興奮を隠し切れなかった男は冷静になる。
 「落ち着いて聞けよ、いいか、落ち着いて聞けよ」男は顎を震わせて、自分に言い聞かせるように話す。
 「分かってる、待っているから、ゆっくりと」
 「あ、あぁ・・・ぅぁ」
 男は痙攣する喉を押さえながら、非常にゆっくりと、伝えるべき言葉を選び、声を発した。
 「ら、ランシールが・・・ランシールが・・・」
 ユーナは息を呑む。
 それは聞くべきなのだけれども、聞かない方が、知らない方が、関わらない方が好い気がしてならなかった。


 「・・・ランシールが、落ちた」


 
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