4-2

 
 「ゆーげきたい・・・・・・ゆうげきたい! ・・・ゆう! げき! たい! ゆうげきたいってなんかカッコいいヒビキだね」
 ヒコはラティアの方を向いて話す。先程から一度もユーナを気にする事無く、無視する一方だ。
 ユーナもそれで構わないと思っている。下手に反応するより、こちらの方が断然気楽だと周囲の注意に専念する。
 「こらヒコ、あとちょっとで警戒域なんだから静かにしなさい」
 「はーい」
 理解しているのか、雑な了解で返すヒコは拳の間接を鳴らす。
 声の進む方向へ草木が掻き分けられていく。辺りに人影は無く、ラティア達の声だけが彼らがそこに居ることを報せる。
 術者を透過させ周囲から不可視にさせる魔法、レムオル。術者はラティア。
 効果の持続は術者の魔力次第なので、戦闘に移行する等集中が途切れる事が無ければ、ラティアのレムオルは一日強は効果を持続する。
 ここに来るまでに魔物の斥候を何匹か見かけたが、一度も気付かれることなく三人は着実にランシール市街へと歩を進めていた。
 付近まで来ると、街の上空に箒に跨った魔物が旋回し警戒しているのが窺える。魔女、魔法オババの奇怪な高笑いがこだまし、ユーナは身を震わせた。
 灰色のローブを身に纏った斥候の魔法使いが、空に響く奇声にくぐもった声で笑い応えた。
 「・・・チッ」
 ラティアは嫌悪を剥き出しにして舌を打つ。正面から顔は見えなくとも、ユーナはラティアがどんな表情で居るのかが手に取るように判る。ヒコも雰囲気に圧されたのか、息を呑んでラティアに話しかけられないでいる。
 目的地は市街の中心。そこに辿り着き敵陣を掻き乱し、上空に向かってのイオナズンの合図の後に自軍陣営へ向かって逃走するのが遊撃隊の仕事。
 ラティアは周囲に群がる怨敵を蹴散らしたい衝動を抑え、今に見ていろと口の端を吊り上げ、笑む。
 ランシール市街へと足を踏み入れると魔物は数を増した。道端では魔法使い達が大きな鍋で薬草を煮ているが、何を混ぜたのか明らかに薬草そのものとは違う腐臭が辺りを漂っている。
 突如として火炎や氷撃が飛び交い、ユーナが何事かと見遣ると魔女と魔法使いの集団が喧嘩をしていた。
 建物は原形を留めてはいるものの壁は焼かれ、一部は瓦解し、道の隅々には茶褐色に変色した血痕が飛び散っている。進むユーナの足元に熊のぬいぐるみが爆風で飛ばされてきて、道の向こう側へと転がっていった。
 遠くで街路樹が燃えている。何が可笑しいのか、魔物の哄笑が町を包む。
 ユーナの歩が速くなる。ユーナだけではなくラティアとヒコの歩幅も広くなる。
 大通りを進んでいくと、右手の林の向こうに巨大な神殿が窺える。作戦決行の起点は神殿前。
 ラティアは小石を拾い、近くの壁に投げつけた。
 道を塞いでいる数匹の魔法使いの意識を逸らすと、ラティアはその内の一体の頭を容赦なく殴り飛ばした。突如強打された魔法使いは、それを仲間の仕業だと思い、打撃の来た方の仲間に向かって拳を繰り出す。殴られた魔法使いは激昂し、火球を以って報復し、終には魔物同士の殺し合いへと発展した。
 一行はその隙に神殿へ向かう道へ入る。背後では怒号が飛び交っている。
 (ちょっとラティア! 危険だよ、結果良しだったからいいけど!)
 (あれ、結構便利なのよ。八割方成功するし)
 何度もこのような手段を講じていたのか、とユーナは冷えた胆を更に凍りつかせる。
 (静かに!)
 ヒコが何かに気付いた様子でラティアとユーナを制する。ヒコは顔の向きを変えて注意を八方へ向ける。
 (何か聞こえるよ、魔物の声じゃない・・・これは)
 ユーナもヒコに続いて耳を澄ますと、確かに異質な音が聴こえる。ラティアは真っ先に気付いた、神殿の方から聴こえてくるそれは―――
 
 人間の悲鳴。

 一際大きく叫び声が響く。三人は駆け足にて神殿へ向かう。
 想像通りの事が起きていないことを願って走るユーナは、しかし、神殿に近づくにつれて濃厚になっていく異臭に鼻を押さえる。鉄の錆びたような臭い、生暖かい空気が風に乗って流れてくる。
 遠目にてラティアは神殿で何が行われているか理解できた。ここまで大規模ではないにしろ、それに似た境遇なら今までの旅で何度も遭遇してきた。知性ある魔物に襲われた際の、とある村々の末路。廃墟と化した村に残る悪意の痕。
 神殿の鉄格子前まで辿り着いた時、ヒコは何も考えられなくなった。考えたくなかった。ただひとつ思い出すのは、白無垢を身に纏い、化け物に自らを捧げた女の微笑み。
 凄惨な光景だった。
 人間が天井から鋼の鞭で吊るされ、その手首は勿論、全身を鞭で切り裂かれ虫の息で呻いている。中には手首が千切れ、片腕だけで事切れている者も居た。魔女達は失血で死ぬことを許さない、と鞭で裂いた痕を炎にて焼き塞ぐ。声にならない叫びが上がり、魔法オババは喜び嗤う。
 地面では暗緑色のローブを纏ったエビルマージ達が、柱に括りつけた人々を代わる代わる殴っていた。その拳にはランシールの武器屋で拝借したであろうパワーナックルが装着されており、エビルマージはその有用性を確かめるように急所を外しながら殴打を繰り返す。隣では暴れ猿に大金槌を持たせ人間の四肢を潰し、這いずり回る様子を哄笑しながら腹を抱える魔物達が居た。
 さらに神殿の奥の方では、動かなくなった死体に魔物が群がり、魔物達はその口を赤く染め上げている。
 ユーナは痙攣する胃袋を抑えるのに必死で考えが回らなかった。ラティアは込み上げる怒りで周囲への注意を怠った。
 「うあぁぁぁぁぁあ!」ヒコが雄叫びを上げて神殿へ向かって飛び出した。
 怒りにて増幅された気功で蹴った鉄格子は軽々と吹き飛び、近くに居た魔法使いを巻き込み壁に激突した。鉄格子と壁に挟まれ、内臓を破壊された魔法使いは吐血し絶命する。
 魔物達の反応は早かった。
 術者の範囲内から出たヒコのレムオルは効果を失っていた。
 知性を灯した魔眼が一斉に入り口のヒコを捉えると、奇声で高笑いしながら雪崩の様に襲い掛かってきた。新しく、活きの良い玩具がやってきた、とばかりに狂気に身を任せて手を伸ばしてくる。
 その恐怖にヒコは驚きすくみあがった。逃げられない、と死を思った。
 「イオラ!」
 ヒコの正面へとベクトルを向けた大爆発が魔物の群れを吹き飛ばし、炎熱にて焼き焦がす。
 ヒコは駆けつけたユーナに奥襟を掴まれ神殿の外へと連れ出された。
 神殿外の芝を踏むと、ヒコはユーナの手を払い大丈夫だという意志を表示する。
 「おまえな!」「ユノ! それどころじゃないわよ!」
 ラティアが注意を促すと、爆発音を聞きつけた魔物達が市街中から集まり、ユーナ達の退路を完全に断ってしまう。相手の総数を数える気になどならない、こちらがたった三人だと云う事が明瞭な事実。初級冒険者二人に、魔法使いの英雄一人。
 だが、幾らラティアでも魔法耐性のある魔物の群れ相手に独りで立ち回ることなどできはしない。ユーナがラティアの表情を窺うと、ラティアは苦虫を噛み潰していた。三人は不利どころではない状況に追い込まれていた。
 「ちいッ!」ラティアの奥歯が強く擦れ合う。合図どころではない。このまま本隊を呼んでしまっては乱戦になること必至だ、とイオナズンを空に放つことを諦める。
 ユーナは息を呑み魔物の出方を窺う。体中から冷や汗が吹き出てきて集中力を削ぐ。今襲い掛かられると危険な事をユーナは感じながらも、しかし状況を打破するだけの戦略を持ち合わせていない。
 ユーナが隣のヒコを見遣ると、彼女の瞳には未だ怒りが見え魔物の群れを前にして、先程の恐怖は何処へ去ったのか闘志を漲らせている。
 その恐れを知らない姿勢にユーナは若干の畏怖を覚えた。
 「アらアら、なにやらオオきイオとがしたとオもったら鼠がすウひきしのびこんでイたのねっ」
 耳に障る不快な声が神殿の方から聴こえてきた。
 人の言葉になりきれていない不協和音が臓腑のひだを隈無く撫で回し、ユーナとヒコは身を捩って耐える。ラティアだけは平静を保ち、神殿の入り口を睨みつける。
 「アークマージ!」
 「まァ、わたしたちのことを死ってイる人間! ちじょウではめずらしイことねっ」
 濃紫のローブを身に纏い、明らかに他の魔物とは一線を画する魔力を放出している魔物が佇んでいる。
 周囲の魔法使い達はアークマージの合図を待っているのか、ユーナ達に襲い掛かる気配を見せない。その口に嘲笑を浮かべて様子を伺っているだけである。
 「なぜお前は言葉を喋っている」ラティアは威嚇のために魔力を拡散させながらアークマージを睥睨する。
 アークマージは役者のように動作を大袈裟に、神殿を舞台にして踊る。
 「ふしぎなこと、そウ! 不思議なことっ。これもすべてゾーマさまのオかげっ! みなぎるわ、力っ! そして、なぜかアたしはくちがきけるのっ! ふしぎっ! なァぞっ! でも、そウイウのが魔法ってイウうんじゃなイ?」
 「お前らがッ! 魔法を語るなああああッ!」
 ラティアが怒りに任せて魔力の奔流を神殿目掛けてぶつける。アークマージは仰け反り、その身を震わせた。
 「アアっ! すごイちからっ! すごイ魔法つかイっ! しびれるゥっん! アなたのつかウ魔法はすごイんでしょうねっ。かんがエただけでも、こウふんしてイっちゃイそウっ! もウイっちゃったんだけどねっ」
 アークマージの足元の床に得体の知れない液体が広がる。アークマージへの嫌悪から三人の顔が歪む。
 「そして、その力っ、アたしのものにしてアげるっ! ちのイってきから肉のイっぺんまで、ねぶってアげるっ! しゃぶってアげるっ! アイしてアげるっ! アそこのごみくずなんてもウイらなイっ! アなたさえイれば、アたしはもっともっとつよくなれるっ!」
 アークマージに魔力が集中し、その右手は後方の神殿へ向けられる。ラティアはそれを相殺しようと魔力を練るが遅すぎた。
 「イオなずん」
 神殿の内部にて大爆発が起こる。加護を受けている神殿自体は壊れることなく、しかし、その中に残っていた数体の魔物とランシール市民は衝撃をまともに受けた。
 何かが飛散し、周囲の建物にぶつけられる。爆発と熱によって昇華させられた血霧が辺りに漂う。
 鈍。とユーナの傍らに人の手首が落ちてきた。それは先程まで生きていたであろう人間の、もう機能しないであろう身体の末路。事実が恐怖となってユーナの心を蝕む。
 「お前らああああ!」
 ラティアが激昂とともに練られるだけの魔力で魔法を生成する。大気が揺らぎ、暴走した魔力が周囲で弾けるような音を鳴らす。
 ユーナはその魔力に見覚えがあった。アリアハン港で初めて目にしたラティアの大魔法。
 お返しだとばかりにラティアは呪文を紡ぐ。
 「イオナズン!!」
 先程アークマージが放った一撃とは比較にならない程の爆発が巻き起こる。
 木々が吹き飛び、加護を受けているであろう筈の神殿の壁には僅かに亀裂が走る。その凄まじい衝撃で魔物達は仲間の大半を失う筈であった。
 魔力の指向が変わる。
 類を見ない魔力の塊は右方向へと受け流され、遠方に聳え立つ岩山の腹を抉り取った。
 魔物達に被害は無い。ただの一体も滅ぼすことなくラティアの大魔法は無力と化した。
 「オほほほほほ、オほっ! ひほほほほっ! オひほっ!」
 「な・・・!」
 三人は驚愕する。目の前に立ちはだかるアークマージの手には何時の間に取り出したのか一本の杖が握られている。ユーナはそれに見覚えがあった。賢者アルベルトの書斎で見つけた書物、神代の遺産が載っているそれに記載された杖。
 「・・・漣の杖?」
 「ごめイとウっ! ちしきのふかイぼウやっ! アらゆる魔法をはねかエすすてきなアイてむ、さざなみのつエっ! ぞーまさまよりウけたまわりししこウのイっぴんっ! まほかんたみたイなごみくずぼウぎょ魔法とはイっせんをかくす、しんぴのしょぎょウっ!」
 ステッキを回すダンサーのように、アークマージは神殿の入り口でステップを踏む。そして、振り向き様にポーズを決めて高らかに叫ぶ。
 「さア、オまエたちっ! ウたげのじかんよっ! アの魔法つかイはイけどりにしてアたしのところまでもってきなさイっ! アとはすきにしてかまわなイわ、肉なりやくなりすきにしなさイっ」
 応。魔物の歓声が津波となって三人に押し寄せる。
 その絶望的な状況の中でもラティアは冷静さを取り戻し、事態の打開策を考えていた。
 「ヒコ! アンタ闘えるわね!?」「ハイ! 大丈夫です!!」
 ユーナの思考だけが追いついていなかった。ラティアはヒコに攻撃時の衝撃を倍化させる魔法、バイキルトをかけ自身は魔物の群れを蹴散らすための魔法を生成し始める。
 ラティアは視線だけをユーナに投げかける。それだけで十分、二人は分かり合える。
 逃げる場所なんてどこにもない、とユーナは自分自身に強く言い聞かせる。その手に集う魔力は形を成し、目の前の敵へ目掛けて前へと進む。
 「ヒャド! イオ!」
 ユーナの生成できる氷塊は人間の子供大が限界。それに指向性の爆発を併せることにより、氷塊を散らせ広範囲の敵を攻撃する。
 魔力耐性のある魔法使い達には大したダメージにもならない、だがユーナの目的は魔物の群れの勢いを削ぐこと。足止めされた魔物達はユーナの背後で強力な魔力が渦巻いているのに気付くが、その魔法は既に完成していた。
 「メラゾーマ」
 巨大な業火の塊が神殿目掛けて真っ直ぐに放たれる。すかさず三人は炎球の後を追い、焼け焦げ虫の息となった魔物に止めを刺し血路を開く。
 ラティアの視線の先にはアークマージ。策は簡単にして単純、一番厄介な敵の頭目を倒すこと。
 「ヒャダルコ!」
 氷柱がアークマージを避けるようにして右斜めに連立する。
 「オほほっ! そウでしょウっ、このつエがこわイものねっ! そのすてきなまりょくがすべてはねかエるとわかってイたら、ウかつなことはできなイでしょウっ!」
 アークマージが手を挙げると、緑色のローブのエビルマージ達が左右からユーナ達を挟み込み、魔法生成を終えた両手を向けメラミを浴びせてきた。
 ラティアは右方へ上位氷撃魔法ヒャダインを放ち相殺するが、左方へは手が回らない。ヒコとユーナは炎弾を目測で見極め躱すしかないが、すぐに限界はやってきた。
 避けられない、とユーナは確信して右手を迫り来る炎に突き出す。
 御しきれない余剰魔力がユーナの腕を焦がし、脂の蒸発する厭な音が響く。
 「っぎあああ! アあが・・・ほ、ホイミ、ホイミホイミ・・・っ!」
 焼け爛れた右手が重ね掛けされた回復魔法によって驚異的な速度で治癒されていくが、痛覚を刺激された衝撃は消えない。ユーナは頭を巡る痛みと、腕に巻き付く炎を振り払う。
 「ヒコ! そっちの緑色の奴ら片して!」「ハイ!」
 倍化された衝撃で地面を強く蹴りエビルマージとの距離を詰めたヒコは、正面に居たエビルマージの背中から腕を生やす。生暖かい感触に顔を顰めたヒコは休むことなく、腕を引き抜き背後へ上段回し蹴りを放ち敵の頭部を破砕する。
 近接近に弱い魔法使い達は魔法を生成する前に戦闘不能へと追いやられていく。心なしかヒコの表情に余裕が生まれ、近接近に持ち込めば魔法使い達など容易い、と云った考えが生まれる。
 ラティアも自分の魔法をサポートとして戦えばアークマージを倒すことが出来る、と希望を胸に灯す。
 ユーナもそう思っていた。だが、当のアークマージが不敵な笑みを浮かべて道化のように踊りまわっている事に違和感を覚える。
 不吉な予感。
 ラティアがアークマージへ向かってメラミを放つ。魔法使いは漣の杖を振り、火球を彼方へ弾き返す。ユーナは理解した。それは目くらまし、本当の狙いはラティアの放ったヒャダルコの影を疾走するヒコによる接近攻撃。
 「イオ!」ラティアがアークマージ付近の氷柱を爆破する。飛散する氷刃を漣の杖で振り払う魔法使いは、目の前に小鬼が迫っていることを確認し思考しているうちに、その頭部を強烈な拳によって粉砕される。飛び散る体液、返り血を浴びるヒコは肩で息をし疲れを見せながらも達成感で満たされていた。顔を上げヒコはラティアへ向かって親指を立てる。
 ユーナは全力で走っていた。
 魔法の心得がないヒコには感知できなくて当然の事、アークマージの魔力反応がまだ消えていない事実。敵に背を晒した今のヒコに、死神が鎌首をもたげて歩み寄っている事を彼女は知らない。

 「ざオりく」

 悪魔の声が響き渡る。
 警戒を解いていたヒコの心に恐怖が怒涛の勢いで侵食してきた。
 有り得ない自分が先程倒した筈、とそれだけを繰り返し思考しながら背後へ振り返り、滅ぼした頭部を再生させたアークマージの哄笑を正面から浴びせられる。ヒコの背中が粟立ち、腹部から侵入した恐怖が心の臓を鷲掴みにする。
 小さく悲鳴を上げ、ヒコは驚き竦みあがってしまった。
 「スカラ! スカラスカラ!」ユーナが身体の防御力を強化しながらヒコへ駆け寄るのと、アークマージが魔法を生成するのは同時だった。
 「ィィイオなずんっ!」
 ユーナはヒコの腕を引き、自分の背後へ投げ出す。
 快楽と愉悦に満たされたアークマージの魔法詠唱と共に前面へと志向性を持った大爆発が放たれる。
 「    」
 爆音でユーナの悲鳴がかき消される。
 ユーナは魔力の限界まで衝撃と熱を緩和するが、大魔法の威力を半減することもできない。爆発がユーナの骨を砕き肉を焼き、吹き飛ばされる。
 「ユノ!!」
 ラティアが駆け寄るとユーナは辛うじて意識を保っており、息も絶え絶えに回復魔法を復唱し続けている。粉砕された骨身が修復されていく度に身体と喉から悲鳴が上がり、魔物の群れはユーナの様子を眺め愉快だ、と嗤う。
 ヒコがラティアの下へ戻り、ユーナの傍へしゃがみ込む。
 「ばか! きみは! ・・・ばかだよっ!」
 「見殺しに・・・できるか・・・ぐうううっ!」ひしゃげたユーナの指が鈍い音をたて矯正される。
 ユーナは膝をつき、身体を持ち上げる。
 よろめき倒れそうになるユーナをヒコが慌てて支える。
 「ユノ・・・」「大丈夫、もういける」
 ラティアに引きつった笑顔で応えるユーナは視線を神殿へ、アークマージへと向け戦意を示す。
 「アら、もウイイのかしらっ?」「がんじょウなものねっ! ぼウぎょ魔法かけてたみたイだけど、それにしたってがんじょウなものねっ!」
 「・・・な!」ユーナ達は目を疑った。
 血肉と炎により堕ちた神殿の闇から、アークマージがもう一体姿を現した。
 一体だけでも手に余る悪魔が二体、ラティアは選択肢が狭められた事に苦虫を噛み潰す。
 ヒコは先程の出来事を思い出したのか、額に玉のような汗を浮かべて構えを取る。
 額に手を当てホイミをかけ終わったユーナは、ラティアと同様に状況の打開策を探り始める。
 「イイわっ! そのかオっ!」「ばんじきゅウすってかんじかしらね、やすんでイてイイわよっ! エイエんにアたしたちのちにくとなってっ!」
 アークマージ二体が揃って手を挙げると、周囲を取り囲んでいた魔物達が襲い掛かってきた。
 魔力を練る時間が短い中級魔法で、ラティアは魔物の群れを間髪無く撃ち伏せる。だが、魔法を使いすぎたのか生成する度に威力にばらつきが見られるようになる。
 ヒコは学習したのかラティア達からあまり離れず、魔法を使いそうになる敵だけを素早く戦闘不能にする。
 ユーナは二人が撃ち漏らした敵を迎撃するが三人だけでは防戦一方で、このままでは消耗し押し切られる事を誰もが確信していた。
 「ユノ! ヒコ! 仕掛けるわ! これで目処付かなかったら本隊を呼ぶわよ!」
 ラティアが無策を示すとヒコとユーナは少し驚き、仕方が無い、と自身に気合を込める。
 魔法生成を終えたラティアが振り絞るように叫ぶ。
 「どけぇぇえ! マヒャド!」
 再び神殿ヘ目掛けて吹雪と氷撃の嵐が突き進み、地から生えた巨大な氷柱が魔物の群れを蹴散らし道を拓く。三人は真っ直ぐにアークマージへ向かって走る。
 後方からはマヒャドの氷柱をくぐり抜けた魔女や魔法オババが、背中を見せるラティア達へ向かって中級閃熱魔法べギラマを放つ。
 ラティアはそれを相殺しようと魔力を練るが、ユーナがそれを制し魔法の正面に飛び出る。
 両腕を閃熱へ突き出したユーナは奥歯を噛み締め、表皮を僅かに焼く痛みを堪えた。
 「この・・・程度ッ! 今更ッ! 通用するかァ!」
 腕に輝く炎を纏い、ユーナは両の掌を組み合わせる。
 「ギラ!」アリアハン港で生成して見せたものよりも僅かに太い熱線が三本、空を駆ける魔法使い達を強襲する。だが、ユーナの狙いは魔物本体ではない、その跨っている飛行媒体の箒。
 緻密な魔法操作により撃たれた魔物の箒が燃え上がり、足場を失った魔女達が仲間の頭上へと次々に落下していく。或いは氷柱の尖端に突き刺さり絶命する。
 一瞬の状況判断の後ユーナは閃き、空を走らせていたギラを地上へ帰す。目標はマヒャドに挟まれた魔物犇めく舞台。ユーナはギラを氷柱群に衝突させると魔法の操作を自動に切り替えた。
 マヒャドの高魔力の氷柱による熱線の乱反射。
 一二撃なら耐えられる魔法使い達も拡散し次々に襲い来る熱線に耐え切れず、地面に膝をつき、打ち所の悪かったものは息絶え大地に伏した。
 引き換えにユーナの消耗も激しかった。慣れない高魔力の操作に加えて、熱線の追加。残る魔力はあと僅かしかなく、このままではものの数分で打ち止めになる。
 ユーナの奮闘に報いるためラティアとヒコはいち早く神殿へ駆ける。
 正面からアークマージ二体によるイオナズンが迫ると、ラティアはそれに高出力のイオナズンで応える。
 拮抗する大爆発は相殺し合い、粉塵の中からラティアとヒコが飛び出る。効果の切れたバイキルトをかけ直してもらい、ヒコはアークマージの胸部を蹴り貫く。
 器官を破砕された魔物は魔法を詠唱することなく事切れるが、ヒコが方向転換する間も無く反対方向から蘇生魔法が詠唱される。
 「ざオりく」アークマージの身体が起き上がる。
 ヒコの顔面へ目掛けて漣の杖が突き出される。既の所でそれを払いのけたヒコはアークマージの顎を砕いて、もう片方へ接近しようとしたが、魔女達の回復魔法ベホイミにより殺さない程度に詠唱不可にする作戦が失敗に終わる。
 「いちいちあいつら相手にしてらんないよ!」
 「ヒコ! 無理は承知でもう少し速く動けない?」できないとは言えない状況で、ヒコは恨み言を吐き出す代わりに身体を動かす。
 群がってきた魔法使いのローブを掴み、魔法詠唱中のアークマージへ投げつけ盾にする。
 鼓膜が破れんばかりの大爆発が魔法使いに直撃すると、ヒコはその背中を踏み台に飛び上がりアークマージの脳天を粉砕する。
 着地し、バイキルトによる爆発的な加速で二体目に詰め寄るも、あと一歩届かず蘇生魔法を許してしまう。ヒコが勢いのままアークマージを蹴り殺すが、やはり距離の開いた片方の悪魔により復活させられる。
 ラティアもそれを援護しようと下級魔法で隙を作ろうとするが、漣の杖により魔法は無力化されてしまう。
 呼吸を合わせた魔物達による一斉放火を周囲から浴びせられる。
 「マホカンタ!」
 雑多な魔法の雨が魔法障壁のドームへ際限なく降り注ぐ。魔法使い達は交代制で攻撃し、ラティアの魔力が切れるのを待つのみである。
 二体のアークマージは歓喜に打ち震え、今か今かとラティア達が贄となる瞬間を待望し、踊り狂う。
 「こんな所で・・・!」
 
 「ラティア!! 一瞬でいい! 周りを牽制して!」

 駆けてくるユーナが叫ぶ。
 二人の視線が交錯する。それだけで十分、二人は分かり合える。
 ラティアは魔法を弾き返すようにマホカンタを解除すると、魔法を生成し、呪文を詠唱する。
 「ギラ!」片手でヒコの目を覆い、ラティアは眩いばかりの閃光を放つ。
 ユーナも目を覆いながらラティアの下へ駆けつけ、何事を企てているのか理解していないヒコの肩に手を置く。
 「僕を信じろ! 今だけでいいから信じろ! この闘い、終わらせるぞ!!」
 曇りの無いユーナの表情に、ヒコは戸惑ったが、次の瞬間には地面を蹴りアークマージ達へと向かっていた。
 靴底が磨り減るかといわんばかりの滑り込みで砂埃が舞い上がり、ヒコはアークマージの脚を払い、傾いた身体を撃滅する。血飛沫が流れる時を緩やかに空を舞う中、ヒコは自分の動作さえゆっくりと動いている錯覚を感じていた。
 「ざ」「―――ピ」
 魔力を練り上げたアークマージの詠唱が既に始まっていた。
 ヒコは蹴り上げた反動で空中に身体を投げ、回転しながら地面に降り立ち、円を描くように摺り足、体勢を整え勢いを殺さず跳躍するために膝を曲げる。
 「「オ」」
 低空を弾丸のように飛び出すヒコは右手を腰に矯めて攻撃に備える。
 ユーナの魔法生成が完了し、言霊が紡がれる。
 「「り」」
 ヒコが右手を突き出す。だがあと一寸届かない。打点に至るまでにアークマージの口は最後の音を紡ぎ出そうとしている。
 ヒコは諦めが心をよぎるのを感じて、ユーナの真剣な表情を思い出す。今だけなら信じてやってもいい、と希望を胸に闘志を燃やす。
 「ム」
 
 その時、ヒコの右手が急加速した。
 
 緩やかな時が速度を取り戻す。
 風船が破裂するように弾け飛んだアークマージの、見る形も無い頭部から勢い良く体液が噴出する。
 その場に居た魔物達は何が起きたのか理解できずに驚き戸惑っている。自分達の首領が敗北する事など考えもしなかった彼らは、アークマージの成れの果てが地面に伏せる音で、ようやく事態を呑み込むことができた。
 刹那、空中に爆音が響き渡る。
 ラティアは杖を空に向け、したり顔で魔物達に向かって握り拳から親指を立て、それを反転させる。
 遠くから地鳴りのように雄叫びが轟いてくる。
 空にイオナズンを放ったラティアは「まだやるのか」と、魔力が尽きたのを悟られないよう杖を握りこんで見せ付ける。
 アークマージの後ろ盾を失った魔法使い達は慌てふためき、蜘蛛の子を散らすように市中へと逃亡していった。
 ヒコは、それでも居残る残党を、ユーナの施したピオリムとバイキルトの相乗効果で撃ち滅ぼしていく。
 ユーナは膝をつき、そのまま意識を失い地面に倒れこんだ。魔力を限界まで行使したことにより、戦闘不能に陥ったのである。
 ラティアは木に凭れ空を仰ぎ、ヒコは伏したユーナへ駆け寄る。



 それからユーナが目を覚ましたのは一日後。現在は目を覚ましてから二日後、簡易病室にてラティア、ユーナ、ヒコの三人が並んで寝台に寝転がっている。
 ヒコは魔法による身体強化で身体を酷使しすぎた事からくる全身筋肉痛。ラティアは魔力の使いすぎによる体調不良。中でもユーナは特に酷く、火傷、内臓器官の損傷、無理な骨格矯正で身体の部分が上手く動かなく、回復専門の僧侶による治療を回復の進行を観察しながら行っている。
 「完全に足止めだこりゃ」ラティアが愚痴る。
 「悪かったな、回復魔法は繊細なんだよ。あんな急を要する場面じゃ本職でもない限り、まともな治療ができるか」
 言い返すユーナに、ラティアは果物の皮を投げつけて鬱憤を晴らす。ラティアを挟んで反対側の寝台では、軋む身体をゆっくりと動かしヒコが起き上がった。
 「ねぇねぇ、あのばっきばきな体から回復するってどんな気分? 痛い?」
 「当たり前だろ、骨も折れているし肉も焼けているんだぞ。死ぬかと思ったわ」
 ユーナはイオナズンの直撃を受けた時の事を思い出し、顔に暗い影を落とす。そしてあまり思い出したくない記憶のカテゴリに分類し、脳の隅に追いやった。
 「しかし、漣の杖を持ち出してくるとは思いもしなかったわ。予想できるかっての」
 「まさか神代の遺産を魔物が持っているとはね。・・・それも壊れちゃったけど」
 ユーナの責めるような視線がヒコを突き刺す。ヒコは口を尖らせて抗議する。
 「しょうがないじゃんよー、あのときは夢中だったんだから。いきおいあまって杖折っちゃったなんて気付かなかったんだからさー」
 「そうよ! あんな杖は壊れて当然よ! 誰だあんな馬鹿杖作った奴。魔法使いの敵め、叩き潰してやるわ!」
 「・・・相手は神様だろ」
 天も恐れぬとはこの事だ、とユーナは窓の外を眺める。
 神殿の方では死体を火葬している為、ここ毎日煙が上がっている。逃げ遅れたランシール市民は神殿に居た者の他、奥の通路に押し込められていた者や、試練の洞窟に逃げ込んでいた者も居り、五分の一程の人達は一命を取り留めていた。今神殿の方角で焚き上げているのは殆どが魔物に弄ばれた者である。
 もしかしたら、自分もあの中に含まれていたのかもしれない、とユーナは感傷に浸る。
 「元の町並みは綺麗だったんだろうな・・・」
 「少し前に来た時は皆で消え去り草を買い漁って遊んだわねー、透明になって通りすがりの人の肩とか叩いて驚かせたのよ」
 「わー、おもしろそう! やってみたいなー」
 感傷に浸るユーナを知ってか、能天気な話題を提供する二人にユーナは軽く溜め息をつく。
 ランシールの復興は、アリアハンにも支援要請を出しており、そう遠くない内に町並みは元通りになることだろう。しかし、この町に降り注いだ厄災は人々の心に残り続け、魔王軍に対する恐怖を色濃くしたに違いない、とユーナは考える。
 ユーナの額にラティアが弾いた指が当たる。
 「アンタはホント昔っから頭でっかちなんだから。そういうの考えるのは別に良いけど、思い悩まないことよ。アンタの所為じゃないんだから、誰もユノを責めたりなんかしないから」
 「・・・子共扱いするなよ、わかってるよ」
 ユーナは照れ臭そうにラティアの手を払いのける。
 「そのかおはまたわかってねーかおだ! この間も見たぞ! あたしは、しかと見た!」
 飛び上がって寝台に立ち、指で作った輪を目に当て、ヒコはユーナを睨みつける。
 「解ってるじゃないのヒコ、かくいう私は昔から見てる! この石頭はなかなか厄介さんよ!」
 ラティアも人差し指と親指で輪を作り目に当てる。残りの指をわきわきと動かしながら、二人はユーナに詰め寄る。
 「こっちくるな! おまえらこっちくるなよ! なんだそれ、なんだよそれ! なんか気持ち悪い!」
 寝台の縁まで逃げるユーナの足が攣り、二次災害として床へと転げ落ちる。
 「あ、落ちた」「あはははははは、ひーひーひひひ! ばっか、ばかだ! 腹筋が、腹筋がいたい!」
 筋肉痛で傷めている腹部を震わせて、ヒコがのた打ち回る。ラティアは輪っかを動かしたまま、床に落ちたユーナを覗き見る。
 「覚えてろよ・・・回復したら、覚えてろよ」
 涙目で上目遣いに睨むユーナに、ラティアは寝台の上に散乱している果物の皮を今が好機と投げつけて愉しむ。ユーナの抗議の声は無視された。
 「それで、ラティア」服に付いた皮を煩わしそうにまとめながら、少し真剣な表情でユーナはラティアを見上げ、視線をヒコへ移す。
 「どうするの?」ヒコの処遇は如何なものか、とユーナは問う。
 「さて、どうしようかしら。ねえ、ヒコ、アンタこれからどうするのかしら?」
 「え? 考えてないよ。ランシールはこんなんだからいられないし、また密航かな?」
 「さらっと犯罪予告するなよ・・・」
 あれだけの危機を乗り越えてなお、この能天気さにユーナは呆れかえる。ラティアは笑いを堪えて、表情を取り繕う。
 「なら、私達についてくる? こっちの方が断然安全よ」
 「え? でも・・・」ヒコはユーナの様子を横目で窺いながら、申し訳無さそうに言葉を言い出せないでいる。
 ユーナはラティアがするように口をへの字に曲げ、そっぽを向く。
 「なにこっちの機嫌窺ってるんだよ。らしくない。そんなに来たいんだったら来たらいいじゃないか。僕は、別に、反対は、しない。・・・今回の一件で僕らのパーティーには戦士が足りてないってことにも気がついたしね。それだけだよ、他意はない。まぁ、あえて文句を言わせて貰えば五月蝿いのが一匹増えるってことだけかな」
 「良く喋ることで」
 ラティアが失笑して、ヒコに向き直る。ヒコは期待に頬を紅潮させ、差し伸べられた手を両手で握り締める。
 「ほんとうにいいんですかっ!?」
 憧れの大魔法使いと旅ができる喜びに、ヒコの瞳が輝く。笑顔で応えるラティアは、しかし次の瞬間には鬼の形相と化していた。
 「しかぁーしっ! ジパングに行くまでの話しだからね! それ以降はお家で大人しくしてなさい。私達も規定違反で捕まっている場合じゃないからね!」
 「えぇー!」
 「『えぇー!』じゃない! これでも譲歩してやってるのよ! これ以上我侭言うようなら尻百叩きよアンタ!」
 「ちょっとすこしは助けてよユウ! あたしの武闘家の夢がおわってもいいっていうの?」
 ユーナは面倒くさそうに、口をへの字に曲げたまま手の平あしらう。
 「おまえの都合なんか知らないよ。恨むのなら二年ばかし遅く生まれた自分を恨めよ・・・・・ってなんだ? ユウって」
 「きみの名前はユーナって言うんでしょ? だからあだ名はユウ! ユノじゃラティアさんとかぶっちゃうでしょ、おもしろくないよ」
 「面白さで人の仇名決めるな!」
 ユーナは立ち上がろうとしたが身体に激痛が走り、上半身をベッドに沈める。
 「あら、いいじゃないユウくん。勇者っぽくて素敵よ、ユウくん。なんとかいいなさいよユウくん」
 立て掛けてあった杖でユーナの身体を突きまわすラティアに、非難の眼差しを向けるユーナ。
 ヒコはわざわざ自分のベッドに戻り、その上に仁王立ちでポーズを決め、腕を組む。

 「というわけで、しばらくの間おせわになりますヒコです! よろしくラティアさん、ユウ!」

 訳の解らない展開になってきた、とベッドに沈むユーナは独りごちた。
 

 

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