4-1

 
 東ランシール港、波止場の出航管理所にて魔法使いラティアの指揮の下、戦闘に参加できる冒険者を中心に作戦会議が開かれていた。
 管理所職員は非戦闘員なので現状で知り得る情報の提供。ラティアはそれを基にランシール大陸のみが記載されている地図にペンを走らせる。
 ラティアは西ランシール港にバツ印を書き加え、一度ペンを置いて顔を上げた。
 「ランシールが占拠される前に脱出できた人の数はどれだけか分かるの?」
 出航管理所の所長、ハンスが地図上の大陸の中心を指差し、それから周囲をぐるりと示す。
 「市民の五分の四程は逃げております。魔物めらはランシール陥落後、逃げたランシール市民を追撃するわけでもなく、その鳴りを潜め出方は窺えず。逃げおおせた市民は大森林にて遠巻きにランシールを囲むようにしてキャンプを張っております」
 「なるほど」ラティアはランシールの周囲に円を描き、そこでふと手を止める。
 「北ランシール港は無事なの? 中央大陸からの距離が西港と変わんないけど」
 「無事ですが今は閉鎖し、北港の職員は全員此処、東港にて保護しております」
 ラティアが周囲を見渡すと、制服の色が異なる職員が数十名見受けられた。
 ラティアはハンスに顔を寄せて小声で訊ねる。
 「・・・ちなみに、西港の生還者は?」
 「・・・・・・」ハンスの沈黙は問いの答えとして十分だった。
 ラティアは下唇を噛みつつ、戦闘員の冒険者達を眺める。
 「戦力的にはもう少し、あとはキャンプに在留している冒険者で事足りるわね。ただ、問題は敵がどのような魔物であるかよ。聞くけど、この中で魔物の姿を見た人はいる!?」
 職員や冒険者は互いに顔を見合わせて情報を交わす。そして、三名ばかりの冒険者グループが手を挙げた。
 「俺ら、ランシールから逃げてきたんだけど、そのとき頭から足までフードを被った魔物や、箒に乗って空を飛んでいる魔物を見た」
 「たぶん、アレは魔法使いや魔女の類で間違いないと思う」
 「・・・情報感謝するわ」
 ラティアは平静を装うが内心はらわたが煮え繰り返っていた。魔法を扱う術士系統の魔物は、その外見と能力から暫定的とはいえ『魔法使い』の名を冠している。それは正道を往く魔法使いのラティアとしては許せない事実であり、ラティアは術士系魔物の名前を耳にすることでさえ忌み嫌う。
 「ラティア、一先ずキャンプの冒険者と合流する形にするの?」
 ラティアの気性を理解しているユーナは話を進め、落ち着かせようとする。ラティアは深呼吸して、心配そうな顔をするユーナの肩に手を置く。
 「そうね、この面子だけでこれ以上話しててもしょうがないし、他の冒険者と合流するためキャンプに向かいましょう」
 地図を素早く丸め、ラティアは机を強く叩き皆の注目を集める。
 「現状把握! 敵は西ランシール港から侵攻のちランシール市外を占拠、現在その動きは読めず。逆にコレはこちらにとって打って出るチャンス! 奴らがランシール郊外にまで侵攻しないうちに冒険者や自警団と合流して作戦を立てるわよ! キャンプの位置を知っている人は案内役ね、先頭は私が務めるから腕の立つ人は殿をお願いするわ! 皆、十分後にここの入り口前に集合だからね!」
 破。
 ラティアが両手を打つと戦闘態勢に切り替わった冒険者達が各々のパーティーで集まり、キャンプまでの行程中の襲撃に備え始めた。
 ユーナが冒険者の散り散りになった広間を見渡すと、出航管理所の職員達が俯いて不安を隠しきれないでいる。ユーナはかける言葉が見つからずに立ち尽くす。
 「ま、しょうがないわよね、こんな状況だし。下手な慰めでは気休めにならないわよ」
 背後からラティアに肩を叩かれ、ユーナは遣る瀬無くなって少し俯く。
 「ラティア、ここ最近の魔物の動きは異常だよ。急すぎる、こんな、イシスも落とされて間もないのにランシールまで・・・大賢者の結界で地上は護られているんじゃないの?」
 「そうか、普通の人は知らないんだっけ、地上を護っていたのは竜の女王だっていうこと」
 ラティアは机に腰を乗せて続ける。
 「大賢者達が担ってるのは各地の守護よ、アリアハン大陸はアルベルト爺さん、中央大陸の西半分はアスト女王、東側はダーマのハーメス大神官、ネグロゴンドで地下世界とバラモス城を監視していた賢者エルマン、サマンオサ地方は・・・形だけだけど賢者のジュゼッペ、地上にいる残り二人は場所を定めずにフリーで各地を飛び回っているわ。で、残りの三人が地下世界ラダトームの奇跡の人ゲベル、メルキドを治めるニコラス、そしてリムルダール地方を大賢者の中でも最強と謳われるフィリップスが守護しているわ」
 「十賢者の残り三人は欠番か行方不明って噂だったけど、実在していたんだ・・・」
 「情報操作ミスね、本当は七賢者にしたかったんだけど隠蔽しきれなかったのよ。十賢者の存在自体古いものだから、ゾーマが現れてアレフガルドと地上を隔てたのは長い目で見ると割りと最近ね。それまで、地上と地下の光と闇の均衡は保たれていたけど、強大な闇であるゾーマの台頭と竜の女王の衰退が原因でバランスは崩壊、少数をアレフガルドに残し、大多数の十賢者は地上を護るため各地に散らばった」
 ユーナは違和感を覚えて、ラティアの言葉を手で制する。
 「ちょっと待って、色々と消化しきれない所がある。先ず一つ、十賢者を隠蔽する必要はあったの?」
 「ゾーマのことを隠すにはアレフガルドに残った三賢者も一緒に隠さなきゃ意味ないでしょ」
 「なぜゾーマのことを隠す必要があるの?」
 ああ、と呟きラティアは額に手を当て、自分の中で考えをまとめる。
 「・・・ゾーマの力が、十賢者全てを護りに回らせ、それでもお釣りがくることが理由よ」
 ユーナは愕然とする、自身の師でもあるアルベルトを以ってしても猶、力及ぶことの無い圧倒的な存在に。
 「その事実を伝えてしまえば、人々は絶望し戦う気力を失くしてしまうから、希望は多ければ多いほど奇跡が起こる確率が上がる」
 抑えきれない闇の王ゾーマの力の余波が、地上世界にまで及んだ結果が魔王バラモスの君臨である。世界を守護する十賢者は攻め込まれた城で篭城戦を続けているようなものだ、とユーナは思った。
 「でも、そんなときに希望が現れたのよ」ラティアは机から降りる。
 「・・・アルスのこと?」
 ユーナが尋ねるとラティアは頷いて、道具袋から欠けた宝石を取り出した。
 「竜の女王は言ったわ、アルスがこの世界を元に戻すための光だって。アルスの中には聖なる力が宿っていて、それはどんな闇でさえ照らすのだ、と」
 ラティアは砕けた光の玉の欠片を掌の上で転がす。
 「これは、ゾーマに纏う闇の衣を打ち消すために竜の女王が命を賭して作ったものなの。それでも、ゾーマの闇には全く届かなかった」
 「命を賭して? そういえば前もラティア同じようなこと言っていたよね、竜の女王が亡くなったから結界が緩んだって」
 「緩んだっていうか、もう死後しばらく経っているし、無いに等しいわね。だから、こんなことになってんのよ」
 ラティアは深い溜め息をつき、腰に手を当て苛立ちを示す。それは随分大変な事ではないのか、とユーナは冷や汗を垂らす。
 「えっと、最後に質問いい? なぜ十賢者は殆どが地上に残ったの? ゾーマが地下にいるのなら前線で食い止めておけば良いと思うんだけど」
 「あー、それね、なんでも精霊ルビスによると地上は約束された地なんだと。平たくいえば予言よ、アルスみたいなのが生まれてくる可能性があるから護っておけ的な。あの精霊の言っていること良く分からない時あるのに、賢者のジジイ達律儀にそれ実行しているんだから」
 理解できない、とユーナに愚痴を零すラティア。精霊ルビスの事をそういう風に評するラティアの方が理解できない、とユーナは内心で呟く。だが、所詮人間の考えの及ぶ処ではないので理解などできる筈がなかった。
 「さ、もうすぐ集合時間よ。考え込むような話でもないんだからキリキリと歩きなさい」
 靴の踵を小刻みに蹴られて、ユーナは慌てて出口に向かう。ラティアは面白がって踵を蹴りながらユーナの後を追う。
 「ねぇ、ラティア」ユーナはドアノブに手をかけてラティアに話しかける。
 「うん?」
 「もしかして、世界って今僕が想像しているより危険な状態に陥っているよね」
 ガツン、とラティアはユーナの踵を少し強く蹴りつける。
 「何を今更」


 熱帯気候のランシール大森林を二列縦隊にて突き進むラティア一行の額には、汗が浮かんでいた。
 熱帯とはいえ比較的低い気温なだけ、サマンオサ熱帯雨林よりは耐えられるものだ、とラティアは独り語つ。
 ラティアが隣のユーナを見遣ると、ユーナは慣れない気候の行軍に疲労を隠せない様子だ。
 「アンタねぇ、半日ちょい歩くだけだってのに、なにこんな所でへばってんのよ」
 「・・・今更ながら、体力を付けてなかったことを後悔しているよ」
 額に金の髪を張り付かせ、頭を覆うバンダナは汗を吸って濡れている。ユーナは腰に提げた水筒の蓋を開け水を口一杯に含む。
 それを見ていたラティアは軽く溜め息をつき、ユーナの頭を小突く。
 「こら、ちょっとの距離だから今回は見逃すけど、長旅でそんな勿体無いことしたらシメるわよ」
 水を飲み込みユーナは「ごめん」と呟くが、声は弱弱しく、気だるそうに水筒を元に戻す。
 「しかし・・・」
 ラティアは怪訝そうに辺りを見回し、背後の案内役の冒険者の方へ顔を向ける。
 「動物が逃げているのは解るけど、在来種の魔物すら出ないのはどういうこと?」
 「さぁ、それについては俺たちにも解らないんだよ。考えられるのは、襲ってきた奴らと縄張り争いを起こして殺されたか」
 「屈服させられ、奴らの指示に従って静観を決め込んでいるか、目の届かない場所まで逃げているか、ね」
 それでも注意を怠らず周囲を見渡しているラティアの肩を、ユーナが叩く。
 「それだと、結構知性のある魔物が相手になるよね? あの系統の魔物は魔法を使うぶん賢いの?」
 「まぁ、その辺の魔物に比べたら随分なものだけど、結局人の形をした魔物だからねぇ・・・そこまで賢くはなかったはず・・・いや、でも・・・待てよ」

 臥。

 木々を薙ぎ倒す轟音が森林に響き、それは不規則に連続して続いた。
 ラティアは気を凝らせて音の出所、リズム、併せて別の音を聞き分け事態の気配を探る。
 衝撃音が二種類、木を薙ぎ倒す豪快な音と、軽快に地面を踏み鳴らし周囲の木々を叩く音。
 殺気が空気に乗って流れてくる。
 「戦闘ッ! どこかで何かが戦っているわ! 皆は取り合えずここで周囲に警戒しながら待機してて! 私は音の出所へ向かうから!」
 ラティアは視線でユーナに合図を送り、それに応えたユーナは背を伸ばし臨戦態勢に移る。
 「こっちよ」
 姿勢を低く、ラティアとユーナは草木茂る獣道を駆け、音のする方角へと向かう。
 微かに揺らぐ地面と、先程までとは違う音。ラティアは眉をひそめる。
 「一体沈んだ、でも音が止まない、複数いるわね」
 「ラティア、あそこ!」ユーナが示す方角には木々の合間から開けた場所が窺える。
 そして、蠢く数体の影を確認した二人は、飛来してきた木片を既んでのところで躱した。
 「危なっ! 追って撃たないところを見ると狙ったわけじゃない」
 「っ、ラティア! 女の子が魔物に囲まれてる!」「暴れ猿! あの位置・・・マズい!」
 二人は茂みから飛び出し、広間へと躍り出る。
 開けた視界に飛び込んできたのは、全長二メートル強はあろうかという巨大な猿の魔物、暴れ猿。
 暴れ猿が三体、少女を囲んで雄叫び胸を叩き威嚇している。
 目は血走り犬歯を剥き出しにし、姿勢は中腰、両足は地面に沈み、いつ飛び掛かるか判らない。
 暴れ猿の群れは幸運にも背中を見せており、ユーナ達には気がついてない様子である。
 ユーナ達が状況を把握するのと同時に暴れ猿の一体が豪腕を振り上げた。
 「メラ!」ユーナがいち早く叫ぶ。
 左手から放たれた炎は帯状に形を変え、暴れ猿の腕に巻きつき動きを封じた。
 炎の鞭に腕を絡め取られた暴れ猿が振り返る。
 「メラミ!」ラティアが認識する暇すら与えず、高濃度の魔力によって生成された炎球で暴れ猿の頭部を吹き飛ばす。
 死骸は一呼吸の後に燃え上がり、大地に沈み込んだ。
 「ん、メダパニ・・・?」ラティアが訝しむ。
 状況を飲み込んだ暴れ猿二体が憤怒の咆哮を上げ、注意をユーナ達に向けた。
 次の瞬間、見当違いの方角へ一体の暴れ猿が飛んでいく。移動したのではない、不自然な空中での体勢、陥没した腹部。ラティアは視線を魔物が元居た場所へ移す。
 少女が、掌を暴れ猿が飛び去った方角へ向けている。少女は摺り足で方向転換、腰を屈めて構え、残る一体の暴れ猿に向かい飛び込んでいく。
 魔物は応じ、木を圧し折る筋肉の塊を少女目掛けて突き出す。風圧が巻き起こる。
 乾いた音と共に少女が豪腕を受け流し、身体を沈め、暴れ猿の脚を払う。
 体勢を崩される暴れ猿は、伸ばした腕の慣性も相まってバランスが取れず、正面から少女へ倒れこむようにして傾いた。
 「ハアァ!」
 少女の上段蹴りが暴れ猿の下顎を撃ち抜き、衝撃の余波で頚椎が破壊される音が響く。
 仰け反り、半回転して倒れる巨体。砂埃が舞い上がり、少女は煩わしそうに顔を覆う。
 ユーナが目を凝らすと奥の方に、もう一体、四体目の暴れ猿が事切れていた。
 視界が晴れて、その場に立っているのはユーナとラティアと少女。
 そこで漸く少女はラティア達に注意を向け、歩み寄ってきた。
 「ん? ・・・・・・あれ? もしかして・・・」少女がラティアを見て、なにやら呟いている。
 混じり気の無い黒髪に、黒の瞳、健康的な肌の色と、身を包む武闘着。見た目は幼く、どう見ても冒険者には見えない。
 「いや・・・やっぱりそうだ・・・うん」
 少女はラティアの元へ駆け寄ってきて、両手を取って向かい合う。
 「お久しぶりですっ! ラティアさん!」
 感動で目を潤ませる少女に対して、ラティアは涼しげな笑みを浮かべている。
 知り合いなのか、とユーナがラティアを見遣ると、その頬に汗が一滴流れ伝った。
 「えーと・・・誰だっけ?」


 「・・・おぼえてなくてもフシギじゃないですけどねー、あたしは住人AなりBなりだったわけだしー」
 「や、見覚えはあるようなないようなって感じでね、ほら私達って世界中旅していたから、人の顔いちいち正確に覚えるのにも限界が、ね」
 ランシール東港から出立して半日程歩いた大森林の開けた場所で、市街から避難してきた人々が寄り集まって出来たキャンプがあった。
 キャンプと名付けているものの簡易テントも寝袋も無く、雨露をしのぐのは木々の葉、寝床は草生い茂る大地、ランシールの冷える夜間を耐える為の道具は外套と絶えず焚かれている炎だけである。キャンプに滞在している人々は疲労の色を隠せず、非戦闘員の市民は尚の事無力感に打ちひしがれていた。
 食料は冒険者達が森を探索して採取した果物や木の実に食用の野草、運が良いときには動物系魔物をタンパク源とする。乳幼児を抱えた女性から始め児童、老人に先に分配され、若い衆へ順番が回る頃には既に十分な量ではなくなる。食料を調達する手段が機能しなくなるのも時間の問題である。
 そのようなキャンプがランシールを囲んで複数存在する。
 ラティア率いる冒険者一行が辿り着いたのは、その中でもランシール港から最も近く規模の大きいキャンプだった。
 焚き火を囲んで、ユーナとラティアは暴れ猿を相手に立ち回った少女と向かい合う。
 「で、ヒコちゃんだっけ?」「ハイっ! 『ヒコ』って呼んでくださいっ」
 元気良く応答する少女ヒコに調子を狂わされそうになるラティアだったが、急にその表情を真剣にする。
 「分かったわ、ヒコ。聞くけどアンタ、年齢はいくつだったかしら?」
 ヒコは黙り、射抜くようなラティアの視線に耐え切れずに萎縮する。モゴモゴと言葉を切り出す気配のないヒコをユーナは訝しむ。
 「あれぇ、どうしたのかな、聞かれて困るようなことだった?」
 軽く微笑みかけるラティアは、しかし目が笑っておらず空気を更に緊迫させる。ラティアの圧力に観念したのか、ヒコは恐る恐る口を開いた。
 「・・・じ、十四・・・」「ええ!?」ユーナが驚きの声を上げると、ラティアは予想していたのか肩を落とす。
 「んなことだろうと思ったわ、童顔にしたって無理があるわよ。確かジパング出身よね、一体どうやってランシールまで来たのかしら」
 「ちょうど、ジパングに来ていた商人たちの船に・・・その・・・こっそり乗り込んで、バハラタから・・・」
 「み、密航?」冒険者詐称と密航を十四歳の少女が単身で実行した事に、ユーナは開いた口を閉じることを忘れる。
 「その様子だと、家出でしょう? ヒコ」
 ラティアに全て見抜かれたヒコは、膝を抱え顔をしかめて頬を膨らませた。
 「だって、だっておかしいよ、十六才にならないと冒険者になれないなんて。冒険者目指しているなら何才だって関係ないのに、規則規則って・・・今の世界であと二年後があるかどうかもわからないのにっ」
 次第に涙声になっていくヒコに、ユーナはどう対応していいのか判らず黙り込む他無かった。
 ラティアは腕を組んで、片眉を吊り上げる。
 「あのね、冒険者云々が問題じゃないのよ。ヒコ、アンタは故郷に後悔を残したまま、明日死ぬかもわからない状況に飛び込んだのよ。もしかしたら一生家族の顔を見ることもなく、野垂れ死ぬこともあるかもしれないわ。それは残された人にとって、どんなに悲しいことか考えたかしら?」
 ラティアはヒコを柔らかく諌める。ヒコは溢れ出てくる涙を拭おうとしたが、一向に治まる気配が無く、武闘着の前垂れに顔を埋める。
 「そのことは胸に留めておきなさい。じゃあ次は、これからのこと考えなきゃね。失敗の後悔なんて長考するだけ時間の無駄。大事なのは今から自分が何をするか、よ」
 ヒコの傍まで歩み寄り、ラティアはその肩に優しく手を置いた。ヒコは鼻水をすすりながら、おずおずと顔を上げる。
 「その格好からして武闘家でしょ、ジパング滞在中にシェンが武術教えてた時にいた子だったのね。シェンに憧れて武闘家志望かしら」
 「うん・・・女の人で・・・身体ひとつで戦うシェンさんが・・・格好良かったから・・・」
 ラティアは若干頬を引きつらせる。シェンが武闘家と云う職業を選んだのは、シェン自身武器を扱うのが天才的に下手だからである。拳に装着する爪等の武器はその範疇に含まれないが、剣や槍を持たせると味方まで攻撃しかねない。
 ラティアは少女の純真を、知らぬが仏と微笑ましく思った。
 「それで、暴れ猿と戦っていた時のアレは『気功』ね」ラティアはヒコの傍に腰を下ろす。
 「?・・・シェンさんが教えてくれた動きを練習していたら、なんか出るようになったけど」
 「え、気功のこと知らなかったの? よくそれで使い物になるものね」
 呆れたのか感心しているのか、ラティアは複雑な表情で応える。
 「ラティア、気功って何さ」ユーナが知識欲を提げて訊ねる。ラティアは説明するのが面倒くさい、と渋りながら簡潔に纏める。
 「魔法は魔力はでしょ、気功は精神力よ。魔力ほど変化応用はできない分、研鑽されているから技の威力が高く、魔力が小さいけど高レベルの冒険者は使っているケースが多いわね。あと、武術応用が多いから武闘家や戦士が大体の使い手よ」
 ユーナとヒコは感心して聞き入る。
 「精神力ってことは、その日の気分次第で威力が変わるものなの?」
 ユーナの質問に、ヒコは答えたそうにするがラティアに対する質問に自分が答えていいものか躊躇した。
 「そうね、気合や意気込みで強さが変わるから、戦況をひっくり返す不確定要因なのよ。悪く言えば戦闘毎に色を変える機嫌屋ってところね」
 「それ、使いようによっては魔法以上の威力なるんじゃ・・・」
 「シェンは片手で地竜の頭を吹き飛ばしてたわね、身体能力強化もできるから達人には並みの魔法使いじゃ敵わないわよ」
 ラティアの話を聞いてヒコが急に立ち上がる。涙は何処へ逝ったのか、その瞳はキラキラと輝いていた。
 「ラティアさん、ちょっとあたしの強さどれくらいか判断してっ」
 ラティアの返事を待たずにヒコは軽快に近くの岩場まで走り、身の丈三倍はあろうかという大岩を前に構える。ラティアとユーナは腰を上げてヒコの後を追う。
 「精神力、精神力・・・教えてもらった型を思い出して・・・」ヒコは呟く。
 肩の力を抜き、胸を張り過ぎず、腹部を収めて顎を引く。頭の先が天に引かれるように背を伸ばしたヒコは、腰を半ばに落とし横隔膜を空気にて押し下げる。
 ラティアはヒコの体表に薄く立ち昇る何かを見て捉えた。
 「吻ッ!」
 ヒコは拳を痛めないよう掌底を繰り出す。岩と接触する手の平は岩の硬度に負け、負傷するかとユーナは思い息を呑んだ。
 鈍。
 打点が押し込まれ陥没する。その結合を断たれた岩は亀裂を残して悲鳴を上げる。破砕するには至らずとも、それを対人・対魔物用に行使するとなればヒコの放った一撃は十分なものだった。
 「うぉ、すげー、自分でもびっくりだ」自らが残した痕跡をヒコは満足そうに見上げている。
 「随分なものね。えっと、ジパングには一年前くらいに行ったから、一年我流で修行したなら大したものよ」
 ラティアに褒められ、ヒコは嬉しそうにはにかむ。
 「でも、氣の練りと使い方が甘いわね。これを粉微塵に出来たら達人級なんだけどね」
 「うひぃ、無理だよ」現時点では到底無理な難題を提示され、ヒコは肩を落とす。
 「スカラで強化しても、こうはならないよなぁ。『気功』ねぇ・・・」
 陥没した岩の表面をまじまじと観察するユーナを無視して、ラティアはヒコを見つめ思案する。
 「・・・ヒコ、アンタもランシール奪回の作戦に参加しなさい。とりあえずの保険として連れて行くわ」
 「え、いいの!?」「ちょっと、ラティア?」ラティアの意図を汲めないユーナが問うと、ラティアはヒコの頭に手を置いて応える。
 「この子の素性を知っているのはユノと私だけ、他の冒険者に知られると厄介なことにならないとは限らないから、私達と行動した方が都合がいいのよ。それに、あくまで保険だから、主立って戦ってもらうことはないわ」
 「ラティアがそこまで言うなら、反対しないけど・・・」納得しない表情のユーナは黙り込み、賢者アルベルトから授かった魔道書を取り出して腰を下ろした。
 ユーナが不機嫌なのを理解できないラティアが、面倒くさいとばかりに肩を竦ませると、傍に居たヒコがユーナの前に立ちはだかった。
 「ちょっと、あたしの何が気にいらなかったの?」「・・・別に」
 食って掛かるヒコを無視して魔道書に目を落とすユーナだが、その目はページを追っていない。
 「別にってことないよ、これから一緒にたたかうのにそんなので良いわけない」
 「おまえは保険だろ? あくまで」
 口をついて出た言葉にユーナは後悔した。刺した棘を仕舞おうとしても、刺した事実は変わらない。それでも、ユーナは発言を撤回しなかった。
 「わかった、きみ、悔しいんでしょ。あたしがラティアさんに認められたことが」
 「はぁ!?」見当違いの予想にユーナは苛立ち語気を荒げるが、逆にそれはヒコに肯定の意に採られた。
 「やっぱり、そういうのって善くないよ。冒険者ってことは、年上なんでしょ?」
 遠まわしに挑発してくるヒコに、ユーナは苛立ちを隠せず眉間に皺を寄せる。
 「あのな……いや、もういい。なんでもない」深い溜め息をついて拒絶を示すユーナ。
 「なんでもないなら」「はいストップ」更に食って掛かろうとしたところを、ヒコは後ろからラティアに頭を抑え付けられる。
 「あんまりイジんないの。ユノも不貞腐れるのやめなさい」
 ラティアの言葉を少しは汲んだのか、ユーナは顔を上げるが、ヒコの顔を見るなり目を細め再び魔道書に向かい合う。
 ヒコは舌を出して応える。
 ラティアは、また面倒事が増えた、と空を仰いだ。


 ランシール奪回作戦会議からラティアが帰ってきた頃には、もう陽が沈みかかっていた。
 「アンタ達、ちょっと集合しなさい。明日の作戦について説明するわ」
 魔道書を片手に魔法を研究していたユーナと、我流の型で気を練っていたヒコはラティアの呼びかけに応じる。ラティアの下に集まったヒコとユーナは、互いの視界に相手が映らないよう顔を背けている。
 ラティアは軽く項垂れる。
 「んで、作戦の主な内容を簡単に説明すると、遊撃隊が敵陣を掻き乱し、敵が散り散りになったところを各個撃破ね」
 本当に簡単だ、とユーナは思ったが、それを口にする気分ではなかった。質問を挟まないユーナの代わりに、ヒコが手を上げる。
 「ラティアさん、そのゆーげきたいってのは何人くらいで誰がやるの?」
 「三人」ラティアは指を三つ立て、手首を返し自分を人差し指で示し、続いてユーナ・ヒコと指す。
 「遊撃隊は私達よ」
 「ちょっと待てよ! 魔物の大軍相手にたった三人だけで突撃するって無茶じゃないか!」
 作戦内容の無謀さにユーナは沈黙を解くが、そこにヒコが割って入る。
 「もしかして怖いのぉ? なら、ここにいたらいいじゃん。きみの替わりは他の冒険者をいれたらいいんだし」薄ら笑いを浮かべてヒコはユーナを煽る。
 「そういうことを言ってるんじゃない! ラティア、ラティアの力なら確かに無理なことではないと思うよ。けど、今回はアリアハンみたいな状況じゃない、力になる冒険者だっているし他に方法があるんじゃないの? なんで、わざわざ、こんなリスクの高い作戦を選ぶのさ」
 「時間が惜しいからよ」
 詰め寄るユーナに動じることもなく、ラティアは静かに、意志の宿った言葉で答える。
 焚き火に照らされた瞳は、しかし、炎よりも燃え滾る闘志を湛えていた。
 「こんなところで立ち止まってられないのよ。手っ取り早く問題を片付けるには誰かが無茶をしなきゃいけないのよ。私は、アルスの所まで辿り着く為には、多少の無理くらい押し通してみせるわ」
 アルスの名前を出されてユーナは押し黙る。アルスとラティアの関係を幼少の頃から知っているからこそ、ラティアの決意が固く揺るがぬものだとユーナは理解できた。
 「・・・ちゃんとした作戦なんだろ?」
 「その辺は考えてあるわ。あくまで私達の役割は遊撃だから、少数で動くの。本隊に戦力を割くためにね。姿を消して敵地に乗り込み引っ掻き回すだけ回して、後は本隊と合流して本格的に叩く算段よ。間違っても三人で真正面から立ち向かうわけじゃないわ」
 「・・・解ったよ」
 ユーナは簡潔に返すと、魔道書を片手に焚き火の下へ戻っていった。
 「ラティアさん、あの人本当にわかってるのかな」ヒコは疑わしそうにユーナを睨むが、ラティアはヒコの頭に手を乗せて窘める。
 「解ってるわよ。長い付き合いだもの、ユノの事は良く知っているから」
 ふーん、とあまり興味を抱いた様子の無い返事で、ヒコは応じる。
 「それにしても、ユノは何の魔法をさっきから練習しているのかしら。下級魔法は一通り習得したって言ってたのに」
 「なんか、ラティアさん来る前から『ピオリムピオリム』とか言ってたよ」
 「ピオリム? まぁ、遊撃中に逃げるとき使えるからいいけどね」
 焚き火の傍らで、移動速度を上昇させる身体強化魔法のひとつであるピオリムを生成するユーナは、術の完成度が低いのか渋い表情で魔法を解除する。
 「でも、なんか後ろ向きだよ。どうせならラティアさんが使うみたいな強い魔法練習したらいいのにねー」
 ヒコはユーナに聞こえるよう声を大きくする。ユーナはヒコを一瞥すると、再び魔法を生成する作業を始めた。
 「暗いやつ!」
 ヒコはユーナを目標に宙に拳を繰り出す。
 風を切る音が帳を下ろそうとしている紫赤の空に吸い込まれていった。
 
 
 
 夜間にキャンプを魔物が襲撃する事もなく、ランシールの森は朝を迎えた。
 夜の気が残り、ひやりとした風が肌を撫でる頃、ぼんやりと明るい空の下でユーナは魔力を凝らせて魔法を生成する。
 「ピオリム」
 ゴムを絞るような音と共にユーナの全身が引き締められる。だが身体は硬くならずに、元の柔軟さを維持したまま強化されている。
 その状態でユーナは前に一歩飛び出すが、急激な身体能力の向上により、加速に対応できず地面を転がってしまう。停止し、起き上がったユーナは草や土の付いた服をはたき汚れを落とす。
 「いてて・・・」
 戦闘中で急激に速度を変化させるのは考えものだ、とユーナは口に入った雑草を吐き棄てる。
 高率良く使うのなら、常時強化状態にして速度変化に慣れる事。対象の運動中に一時的にピオリムをかけて一瞬の速度を増す事。だが後者は術者本人が対象の動きに逐一集中していることが条件であり、乱戦などで術者自身の危険度が高い場合には使用を注意しなければならない。
 「戦闘前から発動するってのも徒労だよなぁ」
 やはり、敵から全力で逃げる事を目的とする以外に使い所がなさそうだ、とユーナはピオリムを解除する。魔法使い等の術者は前列で戦う戦士達に比べて、運動量が劣る為余計に身体強化魔法についていけない。
 「加速に対応できる戦士系か・・・・・・!?」ユーナは咄嗟に身を低くし、腕を伸ばし飛来してきた火球を受け止める。
 手の平に巻き付いた炎は、ユーナが念じると大気中に霧散した。
 「おお、見事なものじゃない。もうメラなら私の全力でも防げそうね」
 「心臓に悪いから不意打つのは止めてくれよ」
 いつの間に起床したのか、ラティアは気に凭れかかって人差し指をユーナに向けている。
 ラティアは欠伸を噛み殺し、朗笑する。
 「甘いこと言ってるんじゃないわよ。もしこれがマミーの群れだったとしたらどうするの? アンタ今頃簀巻きにされて、上半身がグルグル回るように改造されている所よー」
 「こんな湿気の多い所にマミーが発生してたまるか、腐った死体が良いところだよ」
 有り得ないとは言い切れない冗談に、ユーナは苦笑で返す。
 ユーナの火照った身体を涼やかな風が撫ぜ、熱を奪っていく。ラティアはヒャドで生成された氷の塊を宙に浮かべて弄ぶ。
 「ねぇ、ヒコのことなんだけど、あまり邪険にしないようにして」
 この話が目的だったのか、とユーナは不機嫌を表情に出して、あからさまな態度を採る。自分でも嫌味な事をしていると自覚しながら。
 「あの子、アンタの前じゃ強気でいるけど、本当はどう対応していいか判らずに引っ込みがつかないだけなのよ」
 ラティアが大した知り合いでもないヒコを、そこまで気に掛けていることにユーナは少し驚いた。
 「なまじアンタが年上なもんだから、余計にね」
 「その点については、あまり気にしてないよ。僕が苛立っているのは、あいつを本当にこのまま戦闘に参加させていいのかってこと。ラティアの言うとおり、出自がバレたら面倒なことになるっていうのはわかるさ。でも、それだけで、そんな理由だけで女の子を死地に向かわせていいの?」
 「ああ・・・」
 そういうことか、とラティアは納得する。ユーナが不機嫌だった理由。初対面で、不器用で勘違いされてしまったけれども、ユーナなりの配慮。
 「あいつはアリアハン港での僕を見ているようで、辛い。冒険者って夢だけ追いかけて世界を包んでる現実を知らなくて、近いうちに真実を知ることで心が折れてしまうんじゃないかって、不安になる。だから、つい苛立つんだ、能天気なあいつが絶望で歪むのを想像してしまって」
 ユーナの瞳が僅かに潤むのにラティアは気が付いていた。ユーナがアリアハンで体験した恐怖が、過ぎ去った過去の事ではなく、今も生々しく、その心に疵を残している事を知る。
 「ユーナ、だけどアンタはここにいるでしょ? 絶望は乗り越えていくものよ、終わりに待っているものなんかじゃない。誰もが体験して這い上がって、またそこから歩き始める。アンタは優しすぎるのよ、自分以外の誰かが傷つくのを見てられないから、それが必要なことであっても手を差し伸べてやりたくなる、見て見ぬ降りが本当は辛い」
 分かり合えるもの同士が、共有するお互いを言葉にする事で、ユーナはラティアへの信頼を深める。十年前のあの日から、変わらず。
 「前に進むことで自分や誰かが傷つくのを受け入れなさい、ユーナ。今も世界は後ろを振り返らずに動き続けているのよ、ヒコが絶望に沈むのなら私達で手を差し伸べましょう。ヒコが決意足らずで危なくなることがあれば全力で助けるわ。傷つくのが嫌で立ち止まるくらいなら、何もせず死ぬのを選ぶくらいなら、私は最後まで足掻きまくって潔く散るほうを選ぶわ」
 アンタはどう? とラティアは視線でユーナに問いかける。ユーナは袖で強く目頭を擦ると、意志の灯った瞳でラティアへ拳を向ける。
 「決まっているだろ」
 ラティアがユーナの拳へ、自分の拳をぶつける。それだけで十分、二人は分かり合える。
 ラティアは踵を返し、焚き火の方へ歩いていくが、突然思い出したようにユーナへ振り返った。
 「それとひとつ、考え無しでも能天気でも、そいつがいるだけで何かの救いになることもあるものよ。私達のような頭でっかちだけだと、世の中暗くなるしね」
 「本当かよ」
 ラティアの台詞の何に対してツッコミを入れたのかは、ユーナ本人にしか解らなかった。


 船旅での潮の臭いが薄れてきた疾風のバンダナを、ユーナはしっかりと頭に巻く。
 天気は生憎の曇り空、屋根の無い生活を強いられている市民達の表情は一層暗くなり、生活班の女達は選択していいものかどうか決めかねている様子だ。
 「今日でカタをつければ、雨をしのげる住居は確保できるわね。頑張るわよ」
 ラティアの言葉にユーナは視線を戻す。
 総勢二百名程の冒険者や自警団、有志の者達が集まり、各代表がラティアやユーナと共に陣営の正面に立っている。
 作戦内容は昨日の内に代表者から各部隊に伝えられ、ここに集う者達は作戦開始の鬨の声を待つのみである。
 ランシールへ研鑽の旅に来ているだけあって、中級冒険者が大体を占め、彼らに付随する形で初級冒険者が僅かに見受けられる。

 この数は安心を与えてくれる。この集団が負ける事は無い、と冒険者は皆思っていることだろう。ユーナはそこに不安を感じる。
 考えては勝てるものも勝てない、と自分に言い聞かせるがユーナの心の奥底には闘いに対する恐怖が汚泥のようにこびり付いていて剥がれない。
 気圧の所為か耳鳴りが止まない。
 傍では指揮官が音頭を取り、味方の蛮声が響き渡っている筈なのに、ユーナはそれをどこか遠くで感じていて、ラティアに呼びかけられるまでそれは続いた。
 

 

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